2013年1月30日水曜日

奇跡(つづき)

前回、体罰により起きた高校生の自殺の問題に触れ、我々が人間として生まれたことは奇跡に近く、だから生命の有り難さをもっと真剣に考えるべきことを書きました。その後ある本(永田和宏:タンパク質の一生、岩波新書)に書かれていたことを思い出し、今一度その本の内容から生命について考えてみたいと思います。
  我々の身体は約60兆個もの細胞からできているそうです。想像もできない数ですが、60兆円を1万円札で積み上げると600キロメートル、富士山の160倍もの高さになるといいますからその数のすごさが分かります。各細胞には小さな核があり、その中に細いヒモ状の「DNA」が折りたたまれ、親から子への遺伝情報を保持し、自己複製の役割りを担っています。このDNAをつなぎ合わせてまっすぐ伸ばすと約1.8mになり、身体全体ではその長さは1,000億キロメートル、なんと地球と太陽を300往復するほどの長さになると云うからビックリです。親から授かった生命を守っていくのにそれほどの情報量が必要とされるのです。そしてわずか10~20ミクロン(1ミリの100分の1~2)ほどの各細胞の中には、数万種類ものタンパク質が個数にして80億個ほど詰まっていて、細胞が生きていくための生命維持活動を行っていると云うから、もう驚きを越して奇跡が起きているとしか云いようがありません。身長2mにも満たない我々は巨大な宇宙空間を抱えて生きているのです。こんなことを知ったら安易に死んだり、あるいはいじめ・体罰を加えるなど、とんでもないことだということになります。
  詳細は忘れましたが、細胞の中のタンパク質の働きがまたスゴイのです。小さいころラジオから人の声や音楽が聞こえるのが不思議で、「コビトがいるの?」と親に聞いたことがありますが、まさにコビトさながらの働きをタンパク質が行っているのです。まず骨格原料となって細胞などを形作り、次に酵素となって細胞内の代謝(分解・合成)反応をつかさどり、物質やエネルギーを作り出します。細胞内の物質の移送には物質に移送先の荷札をつけ、レール上をモーターを使って運ぶそうですが、荷札・レール・モーターは全てタンパク質から作られます。また、さまざまな情報伝達もタンパク質が担っています。こうしたタンパク質にも寿命があり(数秒~数か月)、寿命が来れば分解され新しいものが作られます。そのときの再生装置もタンパク質から作られ、DNA(タンパク質)の鋳型を使って複製されます。このとき不良品が発生すると品質管理のメカニズム(タンパク質が関与)が働き、廃棄処分されるというから思わず笑ってしまいます。1個の細胞は目に見えないほど小さいのですが、その中には一つのタンパク質社会が存在し、精巧かつ見事に機能して我々の生命を維持管理していてくれるのです。改めて生命の重みを思い知らされると同時に、動・植物を含めみだりに生命を粗末にしてはならないことを教えてくれます。

2013年1月17日木曜日

奇跡

生命のかけら
昨年は大津の中学校でのいじめによる自殺が大きな問題となり、今度は大阪の高校での体罰が原因の自殺が大きな問題となっています。これからという若者が自らの生命を絶つことほど痛ましいことはありません。
  大津の事件の後新聞では、「いじめはよくない」と10数名の著名人による訴えが連日行なわれ、今回も「体罰はよくない」との訴えが行われています。しかしどれも何かが欠けているように思われて仕方がありません。私にはこうした問題が起きるといつも心に浮かぶ絵があります。数十年も前、小学生の子供に買い与えた手塚治虫の「ブッダ」という本の中の数コマの絵です。それはこの地上のありとあらゆる生命は、死ぬとかけらとなって宇宙という大きな球体に吸い寄せられ、渾然一体となった後そこから再び無数の生命のかけらが生まれ、それが世界のありとあらゆるものに新たな生命を吹き込むという絵です。つまり我々の生命はゾウ、ネズミ、虫けら、雑草、あらゆるものの生命と根源は同じであり、生まれ変わるときはどんな生き物になるか分らず、だから「人間に生まれたことは奇跡に近く、とても有り難いことなのだ」ということを教えているように思います。本には「人間も自然の中ではあらゆるものとつながりを持ち、意味があって生きており、もしお前がいなかったら何かが狂うだろう。お前は大事な役目をしているのだから」といったセリフもあり、この本を読むと我々の生命がいかに大切なものであるかを教えられる気がします。そして生命が失われるとなぜ人は悲しみ、いかに悪人であっても鞭打つことをしないかが分かる気がします。いじめや体罰がなぜダメなのか、それを避けるにはどうしたらよいかという話しの前に、我々に与えられた生命がいかに尊いものであるか、だから決して粗末に扱ってはならないことを大人自体がもっと考え、若い人に教える必要があるのではないでしょうか。

2013年1月7日月曜日

苦手は伸びしろ

珍しく快晴に恵まれた宮津の元日
   明けましておめでとうございます。今年も”徒然なるままに、日ぐらしパソコンに向かひて、「エコの環」、あるいは「環境問題」の心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書き付けたく”思いますので、よろしくご訪問のうえ叱咤激励のほどお願いします。
  さて新春の新聞で名門インテルに移籍した長友選手が、「僕は自分の苦手なところを自分の伸びしろだと思うことにしており、苦手だった走りを武器に変えた」と語っていました。やはり一流と云われる人は考えることが違うと感心させられましたが、長友選手のお母さんがまたスゴイ人で、「親が先回りしないよう心掛けている」ということで、長友選手が中学時代に悪い場所に出入りしても、大事な試合に負け落ち込んでいても、イタリアでけがをしても親からは一切連絡をせず、その代り本人から求めがあったときは何があっても話しを聞いてやり、親としての言葉をかけてきたと云います。そして親の役目は子供の不満、否定的考えをプラス思考で受け止めてやり、親の考えに従うのでなく、自分で考え自立する子供に仕向けてやることだと云っておられます。どちらの考え方もいまの日本が大いに学ぶべき示唆に富んだ言葉のように感じました。
  バブル崩壊後20年あまり、日本は成長なき経済に陥っています。この間、経済学者も政治家も産業構造の変革を考えるより、景気浮揚策として従来の成長モデル(日本の得意分野)の振興策ばかりに目を向け、挙句にインフレを創出しようとしています。しかし後進国の成長により地球資源の枯渇は目に見えてきており、大間のマグロに初セリで1億5540万円もの最高値が付いたと云いますが、これも最近マグロを食べるようになった中国人との熱き戦いの結果であり、このままではあらゆる分野で資源の奪い合いが始まりかねません。そろそろ「脱成長」による豊かさを求めるべき時が来ており、20年間苦しんできた日本の中にこそ、脱成長、脱資源のための「眠れる宝」が一杯あるように思います。日本は世界に先駆け、そうした萌芽の発掘にこそ目を光らせるべきではないでしょうか。グローバリゼーションが進む中、ローカリゼーションに目を向けることも大切です。「青い鳥」は意外と近くにいるからです。その意味からも「エコの環」をしっかり育てていきたいと考えています。