2014年4月26日土曜日

糖質制限食(つづき)

 「食生活と欧米型現代病との関係」を最初に明らかにしたのは、世界85ヶ国の食事のパターンを三種燃料(脂質、糖質、タンパク質)の混合比率で分析し、「脂質の比率が高くなりすぎると、心臓・血管障害・ガンなどの疾患が増加する」ことを指摘したぺリセらの研究(1969)と云われ、いまからほんの45年ほど前のことです。その後アメリカでも医療費の膨張に業を煮やしたフォード大統領の命令で国家的大調査が実施され、世界中の国々の食生活と病気・健康との関係が、地域別・人種別・宗教別などに細かく分類して徹底的に調査されました。このとき証人喚問に応じた各国の医師・生物学者・栄養学者などの数は3,000人を越えたと云います。2年の歳月を掛け作成された5,000頁にも及ぶマクガバンレポート(1977)は、現代病(心臓病・脳卒中・ガンなど)は食生活が原因の「食源病」であると結論し、「薬による治療」ではなく身体が持つ「治癒能力」を高める栄養学を重視すべきこと、またぺリセらの図の最上段からかなりダウンした食事のパターンを勧告しました。そして「世界で一か所だけ理想的食生活の国がある」として日本食を勧め、それが日本食ブームに火を付けました。その後もアメリカでは「ガン予防と食生活」(1982)、(1992)、「ガン予防15ヶ条」(1997)など食生活重視の対策が進められ、それが野菜を多く食べる「5 a Day」運動(1991)につながり、その効果は生活習慣病の予防などにハッキリ現れていると云います。一方、マクガバンレポートがほめた日本人の食生活は、東京オリンピックのころまではまだ経済力に比して脂肪の比率が小さく、ぺリセらの図の一番下の最貧国並みのパターンに一致し、医療費は1兆円に届かないレベルにあったのですが、その後の高度成長による経済的豊かさの増大は、わずか30年の間に食事のパターンを図の一番下から一番上まで一気に駆け上らせてしまい、いまや日本の医療費は40兆円に達する破たん寸前の状態で、消費税アップの原因になっています。
 ところで日本の食事には昔から「一汁一菜」という言葉があります。一汁の「汁」は味噌汁、一菜の「菜」は煮物、和え物などの野菜・魚介料理で、ご飯を主食に味噌汁と野菜・魚介料理、漬け物くらいの食生活が古くから続けられてきました。一般的に生活が貧しかったこともあり、そうした質素な食生活が伝統的和食として受け継がれてきたのです。そうした中で明治時代の、まだ栄養学というものが学問として確立していないころに、石塚左玄(1851~1909)という医師が「食養」という言葉で「食事で病気を予防し、治療する」ことを提唱しました。これを受け継いでさらに発展させ、マクロビオティックという「食養療法」を世界に広めたのが桜沢如一(ゆきかず)(1893~1966)です。日本で100年以上も前にこうした栄養学が芽生えたことは大きな驚きであり、誇るべきことでもあります。
 この「食養」の基本的考え方は、
 食本主義;健康の基本は食にあり、病気の原因も食にある。
 人類穀物動物論;人間は穀物を主食とするようにできている。
 身土不二;その土地の環境にあった食事を摂ることで、心身も環境に調和する。
 陰陽調和;陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが大切。崩れると病気になる。
 一物全体;一つの食品(野菜・魚など)を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
の「食養五原則」と云われます*。「陰陽」というと少しうさん臭い気もしますが、東洋に古くからある哲学であり、陰陽の分類さえ正しければ考え方として間違ってはいないと思います。彼らの玄米菜食主義には批判的な意見もありますが、伝統的和食、またぺリセやマクガバン達の考え方とも基本的に異なるものではなく、私自身は「和風のじみ飯」を食べることで、そうした考え方を基本的に受け入れてきました。
 ところが前回紹介した「糖質制限食」はその考え方が全く違うのです。ぺリセらの図の横軸からその大半を占める「糖質」を完全に抜いてしまうのですから、ビックリ仰天もいいところです。著者の夏井氏は、人類はアフリカに現れた500万年前からずっと狩猟採集により肉食をメインに雑食をしてきており、穀類(糖質)を食べるようになったのはほんの1.2万年前からに過ぎず、消化管の構造はむしろ肉食動物に類似していて、草食動物のそれとはまったく違うと云います。また、狩猟採集時代の方が農耕時代より長生きをしており、しかも幼児の死亡率は穀物栽培後の方が上昇していて、人類は根本的に肉食に向いていると主張されます。しかし前述の食養五原則の「人類穀物動物論」はこれと真っ向対立するもので、人間が有する32本の歯の内の20本(63%)は穀物を食べるための臼歯、8本(25%)は野菜・果物・海藻を食べるための門歯であり、肉・魚介類をかみ切る犬歯はわずか4本(13%)に過ぎず、人類は本来肉食に向いていないと云います。こうなるともう一体どちらを信じてよいのか分からなくなりますが、いずれにしてもこれだけ科学が発達した現代でも、食べ物に関してはまだ「何が良くて何が悪いか」が十分に解明されておらず、混乱状態にあるのが実情と云えます。ただ、糖質制限食についても不調を訴える意見もありますし、私自身も体験するなかで、「肉はいくら食べても大丈夫」と云っても肉は血(塩分)の塊であり、減塩が叫ばれるなか問題は生じないのか、「油類はいくら摂取しても大丈夫」と云ってもぺリセ、マクガバンらの云う現代病につながらないのか、と云った不安があり、まだ簡単には結論付けられない問題のように感じました。

* 若杉友子;「これを食べれば医者はいらない」、祥伝社(2013)

2014年4月13日日曜日

宗教裁判

 小保方さんが先日開いた、理研の調査報告に対する不服申し立ての記者会見には、正直云ってがっかりさせられました。不服を申し立てるからには何かそれなりの反証が出てくるものと期待していたからです。不正や悪意はないと云うのなら、なぜ正しい写真なり証拠を出して具体的な説明をしないのでしょう。ノートも他にあるのならなぜそれを見せないのでしょう。また第三者で実験に成功している人が他にいるのなら、なぜ事前に了解をもらってその人の名前を公表しないのでしょう。これでは不服申し立ての会見の意味がなく、何回謝られようと、何回「スタップ細胞はあります」と云おうと、信じることは難しいと云わざるを得ません。
一方、理研の方も、論文に疑惑が浮上したころは「論文成果そのものはゆるがない」と云ったり、「作り方にノウハウがある」とその一部を公表したりしていたにも拘らず、山梨大の若山教授が論文の撤回を呼びかけたころから態度が豹変し、論文の撤回に傾いたり、小保方さん単独の「不正行為」、「ねつ造」と断罪したり、「STAP細胞」そっちのけで事件の収拾を図ろうとする行為には、ガリレオが「地動説」を唱えたとき、中世の教会が「異端か、異端でないか」を裁いた宗教裁判を思わせるものがあります。小保方さんの論文を否定しても、STAP細胞そのものが完全に否定されないかぎり、その存在についてはっきり白黒つけるのが本筋ではないでしょうか。幸い理研も1年かけて再現実験をすると云っているので期待したいのですが、ただ小保方さんを実験から外すと云っています。ここがまたよく分からないところで、なぜ彼女を外すのでしょう。一緒にやれば彼女も名誉回復とばかりに真剣に再現実験に協力するでしょう。問題はSTAP細胞にハッキリ決着をつけることであって、そこには少しの疑念が残ってもまずいのであって、小保方さんを外してもし上手く再現できなかったら、どう結論付けるのでしょう。
 小保方さんの博士論文と云い、ネイチャーへの投稿論文と云い、ずい分無責任でずさんであることは否めません。ただ彼女がどんなことからSTAP現象に着目するようになったかは知りませんが、何か全く新しい現象に関心を示し、あるいは新規な発想を抱いてそれに果敢にチャレンジする人には、やはり常人とは何か違う特別な才能がある可能性があり、温かく見守ってやることも大切なのではないでしょうか。ガリレオも若いころ「光に速度があるのでは」と考えたとき、助手を向こうの山の山頂に立たせ、自分はこちらの山の山頂に立ち、共に手に持つランプに覆いを被せ、最初にガリレオが覆いを取り、そのランプの光を助手が認めたら次に助手がランプの覆いを取ると決めて、ガリレオが覆いを取ってから助手のランプの光を認めるまでの時間を計り、光速を求めたと云います。いまなら小学生でもこんな実験は無意味だと考えやらないでしょう。しかし光に速度があるのではと感じることもさることながら、方法はともかくそれを測定しようとするチャレンジ精神というか勇気には、やはり賞賛に値するものが十分にあると思います。
 あの孔子も自分の生涯を振り返り、
 「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳に順い、七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず」
と年齢を重ねるにしたがって自己が完成されていく過程を述べています。小保方さんはまだやっと30歳で、孔子にしてやっと自分の足で立てるようになったばかりのころです。人間的に未熟であっても当然です。折角のリケジョの希望の星を、安易につぶしてしまわないことを祈っています。
 

2014年4月8日火曜日

糖質制限食

 「エコの環」づくりに取り組み始めてから、野菜の味見をする機会が増えました。そのせいか昨年当たりからハッキリ変わったと感じるのが、ウンコ(失礼)の質です。それまでの軟便かコロコロタイプから薄茶色のバナナタイプに変わり、紙が要らなくなったのです。また、オナラ(これまた失礼)がほとんど臭わなくなったのです。そして毎年いま頃は目が充血し、くしゃみが激しく、話しをするときに咳が出て困っていたのが、昨年当たりからそうした症状がすっかり消えてしまったのです。そんな体験もあって、いま当地で進めている「みやづ環の地域づくり」では、「エコの環」を中心に野菜の地産地消に取り組むことにしたのですが、どうせならそれで日本一の「長寿市」、「ピンピンころり市」を目指そうと提案しています。そしてテレビの調理番組などで砂糖がよく使用されるがそれは身体に良くないこと、「エコの環」野菜は甘くておいしく調理に砂糖が不要なこと、野菜(カリウムが豊富)を多く食べれば自ずと減塩が進むので、「減糖」だけを主眼にした食育をまず進めようと提案しています。しかし砂糖に慣れきったメンバーからは、「我が家には砂糖がない」と説明しても信じてもらえず、どう納得させるか思案していたとき、新聞広告で「炭水化物が人類を滅ぼす」(夏井睦、光文社新書)という本が目に留まり、早速購入して読んでみました。
内容は医師である著者が「糖尿病」と診断され、かねて聞いていた「糖質制限食」に挑戦したところ、不治の病とされる糖尿病がすっかり治ってしまったことから、大胆な仮説を展開しながら糖質制限の勧めを説いたものです。私も「糖質ダイエット」が女性の間で話題になっていることは知っていましたが、私自身の考え方とずいぶん異なることから、いささか疑問視していたのですが、この本の説得力には引き込まれるものがあり、実際に挑戦してその効果を試してみました。
 まず「糖質制限食」の内容ですが、血糖値を上げるものはとにかく摂らないという考え方です。つまり炭水化物(でんぷん質の米、うどん、パン、そばなど)、砂糖、根菜類の野菜(糖質の多いイモ、にんじん、レンコンなど)、果物、菓子・ジュース、醸造酒(日本酒、ビールなど)は避け、代わりに肉・魚・卵、大豆製品(豆腐、納豆、枝豆など)、葉物野菜、乳製品、油類(マヨネーズ、バターなど)、揚げ物(フライ、から揚げなど)、蒸留酒(焼酎、ウィスキー、ウォッカなど)はどれだけ摂っても構わないというものです。一方、私がこれまで摂ってきた食事は日本食のいわゆる「じみ飯」で、五分づきのご飯、味噌汁、野菜の煮物、納豆、魚(小魚)料理、海苔、漬け物、あるいはうどん・そばと云ったもので、肉とか卵、乳製品、脂っこいものは意識的に避けてきたことから、糖質制限食とはまさに対極の関係にあると云えます。
 実験は最初の2日ほどは夕食のご飯だけを抜くことから出発し、順次昼も夜も麺類やごはん、根菜類を抜いていきました。因みにそれまで朝食はリンゴ半個、サツマイモ半切れだったのですが、それもゆで卵1個とチーズに置き替えました。すると4~5日してから猛烈な腹痛に襲われ大量の下痢便をしたのですが、わが家の体重計(タニタ製)による測定では、体重;61kg→58.5kg、BMI;22→21、体脂肪率;10%→9%、内臓脂肪;8→5.5と明らかに身体に減量傾向が現れ始めました。ただ、若いころならともかく、あるいは独身の身なら飛び付いたかも知れませんが、毎食毎食、肉、揚げ物、卵などが続くと食事がなんかギラギラした感じで、ビールが飲みたい、ご飯、果物が食べたい、解放されたいという気分が高まり、それと便秘気味になったこと、何となく足の筋肉が重く感じられるようになったことから、実験は10日間で止めました。以後は従来の食事に戻しましたが、1週間ほどで見事に元の数値に戻りました。
 ところで私たちの身体の細胞には、エネルギー源として「ブドウ糖」と「脂肪酸」を使い分けるハイブリッドエンジンが備わっているそうです。食事を摂ったあとの3時間ほどは吸収したばかりのブドウ糖を使用します(解糖エンジン)が、それが不足してくるか急激な運動をするようなときは、肝臓や筋肉に貯蔵したグリコーゲン(ブドウ糖)を分解して使用し、それも少なくなるとブドウ糖の使用はそれしか利用できない脳などの中枢神経系のみに限定し、その他の組織(臓器・筋肉など)は貯蔵脂肪を分解して脂肪酸を用います(ミトコンドリアエンジン)。そしてさらにブドウ糖が不足するようになると、肝臓が脂肪酸のエネルギーを使ってタンパク質をブドウ糖に変える機能(糖新生)が働き、ブドウ糖を供給するようになるのでブドウ糖が欠乏することはないと云います。つまりエネルギー量的には脂肪酸を燃やす方(ミトコンドリアエンジン)が有利なのですが、変換速度的にはブドウ糖を燃やす方(解糖エンジン)が優れていて糖は消耗しやすいのですが、そのときは糖新生によってタンパク質からブドウ糖が作られるので、糖を補給するよりむしろ糖を断つ方が体内の脂肪が燃焼しやすくなり、ダイエットが進むという理屈です。一方、瞬発力が必要な若いときは解糖系のエネルギーを多く使うので、糖質を多く摂っても問題ないのですが、持久力が求められる中高年以降になると、エネルギー系は解糖系からミトコンドリア系へ移行するため、糖質の摂り過ぎは皮下脂肪を増加させ、メタボになりやすいと云うのです。この辺のことは草しか食べない牛に穀物を食べさせ、「霜降り肉」を作ろうとする最近の畜産技術を思い浮かべれば納得できます。この本を読んで知ったのですが、糖尿病になると「カロリー制限」による食事療法を行いますが、しかしご飯などの糖質制限をしないので血糖値が上昇し、根本的な治療につながらないと云います。確かに糖質制限食なら血糖値は全く上昇しないので、糖尿病患者には最適な食事療法なのかも知れません。この本を読んで改めて「腹八分」、「よく噛む」、「減糖」の大切なことを再認識した次第です。

 


2014年4月4日金曜日

2013年度のまとめ

 昨年度の「エコの環」活動では生ごみ処理機「たいぞう君」を1台増設し、地区内3か所にある4台の処理機で4人のボランティアが月に480kgほどの生ごみを処理し、できた堆肥で6人が無化学肥料、無農薬、無畜糞堆肥にこだわった野菜づくりを進めてきました。できた野菜は最初2店舗で販売していましたが、その1つが店を閉じることになり、それを機にもう一店舗での販売も止め、いまは決まった顧客に野菜を売って歩く行商の形を取っています。この方が私たちの野菜を心待ちにしてくれる人もいて、無駄が少ないと考えたからです。昨年度の野菜販売額は下図に示すように51万円余となり、一昨年度の23万円を大きく超えることが出来ました。しかし8~9月頃、野菜栽培の中心であった2人が共に腰痛を患い、肝心な稼ぎ時に大きな戦力を失い、残念な結果でもありました。高齢者による事業だけに病気も含め、今後もこうしたハプニングをある程度予測しておく必要があるのかも知れません。

野菜販売額の推移
ところでいまは堆肥の量が全然足りず、野菜の栽培量に限度がある状態で、もっと生ごみ処理量を増やす必要に迫られています。それには生ごみの収集範囲・量の拡大を図っていく必要があり、どうしてもパートの雇用が必要となってきます。そこでその雇用費の手当てをすべく、アチコチに助成金の申請を行ったのですが、雇用費となると助成対象になるものが少ない上に審査も厳しく、残念ながらどこにも採択されませんでした。ただ助成金とは違うのですが、エコビジネスの芽を見つけ育てるコンテスト「eco japan cup 2013」というのがあり、応募したところそれは最終選考を通過し、「東京で最終審査をするので、パネルの製作とプレゼンテーションの準備をお願いしたい」旨の連絡を受けました。それが審査当日の丁度10日前のことであり、あまりにも慌ただしく、しかも東京となると気分的にも遠すぎて、折角ながら辞退しました。すると主催者側でパネルの製作と5分間のプレゼンテーション(本来の審査は10分間)をするので、パネル内容のチェックとスライドを作ってほしいと云われ、結局代役参加となりました。そんなことから審査の結果は全然当てにしていなかったのですが、しかし意外にも「東急グループ賞」というのに選ばれ、賞金10万円を頂くことができました。いつも青息吐息でやっているだけに、この賞金は大変に助かりました。あとで聞くと審査会は日本最大級の環境展示会「エコプロダクツ」の会場(3日間の来場者数16万人超)で実施され、その模様は世界にネット配信されたということで、参加しておけばよったと反省しているところです。右下図は授賞式(これも欠席)で贈られた賞状と目録です。
宮津市では昨年の秋、地域住民・事業者・各種団体からなる「みやづ環の地域づくり」が発足し、私が所属する部会ではいま、私たちの「エコの環」を中心に地産地消を進めることを検討しています。一方、京都府では、これまで「阿蘇海環境づくり協働会議」が進めていた阿蘇海の清掃活動、環境学習、調査研究に、もっと流域住民・団体を巻き込み、新たな阿蘇海将来ビジョン、具体的取り組み内容を決めたいとして、昨年の秋から4回ほどワークショップを開催していましたが、この度「阿蘇海流域環境改善案」を募集したことから、早速私たちの「エコの環」やへどろ調湿材・ヒートポンプについて提案を行ないました。今年度はこうした取り組みがさらに具体化し、私たちの活動が飛躍できることを期待しています。