2015年9月23日水曜日

シミュレーション

 阿蘇海のへどろにすばらしい吸湿/放湿特性があり、蒸気吸着式ヒートポンプ(水蒸気を利用する熱の汲出しポンプ)を作ることが可能なことは、これまでにもなんどか触れてきました。水を高温な場所に置くと蒸発して、1グラム当たり600カロリーという大きな熱を奪います。火に水をかけると鎮火するのは水がこの大きな熱を奪うからです。この水蒸気をへどろに吸着させ、その大きな熱を冷却水で回収することで、例えば太陽光にさらされ高温となった屋根の熱をお湯として回収し、同時に室内温度を下げようとするのが「へどろヒートポンプ」の考え方です。これまでに基礎的な実験はほぼ終了し、実用化の実験を進める段階にあるのですが費用がかさむため、なかなか実験に移れず悶々としていました。そんなとき府立海洋高校の生徒さんたちに講義をする機会があり、その折、学習の教材用にと思い切って装置を学校に預けることにしました。そして先生に使い方を理解していただくため、2度ほど実験を計画したのですが、1回目は装置に破損が見つかり、2回目は急に激しい雨に見舞われ実験ができず、やっと先日、3度目の正直で実験を行うことができました。しかしその日はあいにくの曇天で条件的には最悪でしたが、目的は実験方法を伝えることだったので、まずは実験をすることで何とか実験の要領を理解してもらうことができました。
 ところでパソコンのソフトにエクセルという計算用ソフトがあります。データをインプットするといろんな計算が簡単にでき、またそれをグラフにしたりできます。このエクセルには計算式(関数)などもインプットでき、複雑な計算式でも簡単に計算してグラフ化できます。右下の図は3次式をグラフにしたものです。
いまへどろヒートポンプの原理を考えたとき、その仕組みは極めて単純です。つまり水を入れた容器とへどろを入れた容器をパイプでつないだだけの構造で、装置内で起きる現象も蒸発、吸着、伝熱など限られています。そこでそれら反応式をエクセルにインプットして組み合わせることで、へどろヒートポンプで起きる現象を数値計算できないかチャレンジしてみました。各反応式には適当な係数をかけ、計算結果を微調整しながら実験結果に近づけていくのです。これをシミュレーション(数値模擬実験)といって、規模は違いますが地球温暖化などの予測にもこうした手法が取られます。下図は海洋高校で行った実験のシミュレーションの結果で、計算結果と実験結果は非常に良い一致を示しています。こうしたことをいろんな実験に対して行っていくと、装置はどのような形状がよいかとか、水の量、へどろの量はどれほどがよいかなどが予測できるようになり、海洋高校の生徒さんたちのよい教材になるのではと期待しています。

2015年9月10日木曜日

ぽっくりさん

 私の両親は老後によく夫婦そろって、1~2泊程度の旅行に出かけていました。そしてたまに親元(岐阜)に帰ると、「”ぽっくりさん”に行ってきた」といった話をよくしていました。当時は「ぽっくりさん」と聞いても「なに、ソレ?」くらいの感覚で、いい加減に話を聞いていたのですが、いま私たちが「”ピント活き生き”宮津ライフ」で主要テーマに取り上げている「ピンピンコロリ」、つまり人生の終末において介護のお世話にならないための願掛けに、どこにそのお寺があったか知りませんが、両親はよく出かけていたようです。その所為かどうかは分かりませんが、いまから30年近く前、両親は見事なくらいあっさりとこの世を去りました。
 親父はいつも朝と夕の2回、食事前に読経をするのが習慣でした。その独特の節回しは私の子供たちがよく真似をして、笑ったりしたものです。当日親父は前の家の主人と立ち話をしていて、兄貴が「そろそろ夕飯だよ」と呼びに行くと、いつものように読経に2階へ上がったそうです。しかし夕飯の時間になってもなかなか降りてこないので、2階へ見に行くと仏壇の前で数珠をしたまま倒れていたそうです。82歳でした。一方のお袋もそのころはまだ元気で、四十九日の法要のとき、我が家まで車で連れて帰りました。一週間ほど我が家に滞在した後、西宮の兄貴の家まで一人で鉄道を使って行き、数日滞在した後やはり一人で岐阜まで帰っています。そのお袋が親父が亡くなったわずか4カ月ほどあとに体調を崩し、2カ月もたたないうちに「老衰」で亡くなりました。80歳でした。介護といっても介添え程度でほとんど兄貴夫婦に迷惑をかけることなく、最後は義姉の手を取り、「ありがとう、ありがとう」といって亡くなったそうです。
私たち夫婦も共に高齢者といわれる年代になり、最近は自分たちの行く末についてよく話したりします。そしてまさに「ぽっくりさん」だった私の両親は、いったい何が良かったのだろうと考えたりします。ただ思い浮かぶのは二人とも非常に健脚で、常に身体を動かし働いていたということです。以前、「百歳バンザイ」というNHK番組があり、多くの元気な百寿者を紹介していました。あるおばあさんはお嫁さんに代わって小さい子供の面倒を見ていて、子供が道路に出ようとするとそれを走って追って止めようとしたり、子供をおんぶひもで背負ったりしていました。あるおじいさんは電気の保全業務で電柱に登ったりしていました。百歳でもこんなに元気に生きられるのかと感心したことを覚えています。自然界の動物は敵から逃れるため、常に身軽な体型を保っているそうです。人間も動物、いつまでも自分の足で移動し、自分の身は自分で守ったり、身体を使って働くことは生きるための基本なのでしょう。それと「絶対に介護で人の世話にならない」という強い意志、願望も、現実には明日倒れるかも知れませんが、何も考えずに生きることに比べれば、終末人生にかなり大きな差を与えるように思うのですが、どうでしょうか?