一週間の戦い
家内が一週間も家を空けることが起きました。先週の月曜日、急遽病気見舞いに出かけることになり、水曜日に帰ってくる予定で出かけたのが結局土曜日になってしまったのです。これまでも遊びや何かで家内が家を空けることはときどきあったのですが、空けても2~3日どまりで、そのときはその間の私の食事を全部用意して出かけるのが家内の習いでした。これは決して私が「亭主関白」だからと云うことではなく、長い習慣として私自身が台所に立ったことが全くなく、「台所のことは任せられない」という家内の強い思いによるもので、ただ今回は準備の時間がほとんど無かったため、「カレーでいい」と云ってカレーだけを多めに作ってもらいました。
こんなことで水曜日の昼までは何とか無事に過ごしていたのですが、家内から突然「帰りを土曜日にしたい」と急な連絡が入り、そこから私の苦しい戦いが始まりました。経験のない食事作りもさることながら、実は前日、一日中庭の草取りをしていたのですが、結構身体に負担を感じながらも少し無理をしたのが悪かったのか、朝起きると寝違えたように首から右肩にかけ激痛が走り、全く首が回らなくなっていたのです。ふだん肩こりなどしたことがなく、貼るシップ薬もないままパソコンに向かっていると痛みは増すばかりで、そうこうする内に夕食の準備にかからねばならなくなりました。冷蔵庫といってもビールの置き場所しか知らない身にとって、家内から「冷凍庫にナニ」、「冷蔵庫のどこにナニとナニ」と云われても、「省エネ」意識からか長時間扉を開けておられないのと、首が全く回らないのも手伝ってなかなかナニを見つけることができません。散々苦労してやっとジャガイモ、にんじん、キャベツ、豚肉、ホタテを見つけ、これらをフライパンで炒め醤油で適当に味付けしたのですが、蓋をかけて料理したせいか野菜からの水でちょうど「すきやき」風の炒めものができ上がりました。次にご飯を普段の土鍋ではなく小さな炊飯器で炊こうとしたのですが、お米の量と水の割合が分かりません。家内は「お米2カップに水2カップ」というのですが、それを守るとわが家の小さな炊飯器が溢れそうになります。こんなところで技術屋の厳密な計量に対する家内のいい加減さに腹を立ててもどうしようもなく、やむなく水を減らして「ままよ」とスイッチを入れました。幸いご飯は蓋を持ち上げんばかりに膨らんだものの焦げもなく、なんとかその晩は結構おいしいスキヤキごはんを食べることができました。
翌朝になっても痛みは引かず、一日ゆっくりしようと午前も午後もゴロゴロ寝て過ごしたのですが、これがよくなかったようで、電話が鳴っても人が訪ねてきても急に起き上がることさえ難しくなってしまいました。その内にまた夕食時になり、しかし肉は前日に使い切ってなく、ホタテも半分冷蔵庫に残しておいたのがいくら探しても見つからず、たまたま見つけた冷凍シャケで昨日同様にスキヤキ風炒めを作り、それと家内から味噌のあり場所と溶かし方を教わり、ジャガイモとキノコ、豆腐で味噌汁を作りました。そしてその晩も肩の痛みと戦いながら、何とか食事を済ますことができました。
しかし翌朝も痛みは一向に引かず、これは血のめぐりが悪いからだろうと風呂を沸かし、ゆっくり肩、首まで浸かってたっぷり汗をかきました。しかしこれが却って悪かったのか、今度は微熱が出て気分まで悪くなってしまいました。こんな様子を知った家内から、家内に代わっておばあさん(103歳)の面倒を見に帰っていた義兄に連絡が行き、彼が普段使っているシップ薬を持って駆け付けてくれました。「マッサージに連れて行ってやる」と云ってくれたのですが、気分的にまったく動く気になれず、「シップ薬で様子をみてみる」と云って一日椅子に座って本を読んだり、テレビを見たりしてジッとしていました。しかしこれがまた身体を固まらせるというかコリを進めた感じで、まさに肩で息をする状態になってしまいました。そうこうする内に水道のお湯が出ないことに気が付きました。わが家は夜間電力でお湯を沸かしているのですが、不思議に思ってコントロール盤を見ると、エラーメッセージが点灯しています。取説を見ながらコントロール盤を操作してもエラーメッセージは消えず、何故だろうと風呂場を見ると上がり湯の蛇口が開けっ放しで、水が勢いよく出ています。多分5~6時間そんな状態だったろうと思われますが、肩の痛みでそんなことにも注意が届かなくなっている自分が、まったく情けなくなる思いでした。その晩も何とか「お米1カップと水1カップ」でご飯を炊き、あとは豆腐、納豆、焼き海苔などを見つけ、それで食事を済ませましたが、肩の痛みはひどくなるばかりで、その夜は右を向いては「ギャー」、左を向いては「ギャー」と一晩中痛みに苦しめられました。
翌朝は目が覚めても激痛のため起き上がることもできず、まるで裏返しにされたカメ同然に、手足をバタバタさせながら天井を見ているだけの状態で、やむなく一日中ジッと寝て、家内の帰ってくるのをひたすら待ちました。不思議なもので家内が帰ってくると幾分痛みも和らぎ、その夜は前日よりは少し楽に寝ることができました。
翌日(日曜日)家内から「緊急診療所へ行ったら」と勧められたのですが、少し楽になったことから結局行かず、月曜日の夕方になってやっと外科に行く決心をしました。そして飲み薬とシップ薬を処方されたのですが、お陰で翌朝(火曜日)になると痛みがすっかり無くなっているのにビックリしました。なぜ一週間近くも痛みと戦っていたのか不思議に思えて仕方ありませんでした。ただ、今回の出来事は共に高齢で支え合って生きていくには、男も台所に立つ必要があることを切実に教えてくれ、「週に1回は料理作りを手伝う」ことを家内と話し合ったところです。