2014年3月25日火曜日

会計処理法

 今年の冬はいつになく寒さが厳しく、また長く感じられました。しかしさすがに「彼岸」を迎えると一気に春らしい陽気に変わるから不思議です。そして解放的な気分になる一方で、毎年この時期はやがて始まる一年の締めの作業-多くの報告書類の作成、届出業務、総会など-が頭をよぎり、いささか憂鬱になる時期でもあります。とくに私たち技術系の人間にとって会計書類の作成は、ほとんどその意味を理解することもなく、ただ決められた様式に従って前年度分の書き換え作業をやっているだけですが、ときに大きな考え違いをしていてあとで然るべきところから指摘を受けても、十分に内容が呑み込めないようなことがあったりして、いつもその作成作業には一抹の不安を抱えてやってきました。
 2012年度より会計報告書の一つ「収支計算書」が「活動計算書」に移行することになり、それを機に経理のことを少し勉強しました。そして金銭取引に未収金とか前払金、あるいは未払金、前受金、借入金などが発生するようになると、資産とか負債といった概念が必要となり、活動計算書でないと説明しづらくなることを学びました。そして昨年の今頃でしたか、エクセルで作った出納帳をあとで自動仕訳して、総勘定元帳を簡単に作れるようにしたことや、またそれまで使っていた金銭収支表を資産・負債の動きも分かるものに作り変え、活動計算書や貸借対照表が簡単に作れるようにしたことを紹介しました。しかしその後半年も過ぎると、経理屋でないがためその計算内容をすっかり忘れてしまい、日々「収支一覧票」に金銭を入力することで出納帳残高、資産/負債額、正味財産額などが表示されても、なぜそうした結果になるのかが分からなくなり、これはヤバイというので昨年の暮れに自分用の「取説」を作成し、同時に収支一覧票に表示される数値の下に計算式を書き込みました。すると自分でも結構納得のいくものが出来上がり、折角作ったのだからとむかし会社勤めをしていた時の同僚で、経理畑一筋だったMさん(滋賀県在住)に取説をはじめ一切の書類を送付し、チェックをお願いしました。最初は理系の人間の作ったドロクサイ会計処理法に、かなり戸惑いや違和感もあったようですが、そこはむかし同じ釜の飯を食った仲間、何度も何度もメールでのやり取りを交わし、時には電話で直接確認し合ったりして、大きな誤りを正したり、構成を変えたり、細かい語句の修正などもしてもらいました。そして最終的に京都府の府民力推進課の担当者にもチェックをお願いしました。
 下に示すのが新たに作り直した収支一覧票です。日々の金銭の出入りを入力すれば、金銭収支の他に正味財産の動きも瞬時に分かり、活動計算書、貸借対照表、財産目録としても利用できます。また、市販のソフトと違い計算内容が一目瞭然であり、自分なりに自由に作り変えることも可能です。興味のある方はご連絡ください。取説やテンプレートをお送りします。


2014年3月17日月曜日

リケジョ(つづき)

 小保方さんの「STAP細胞」に疑惑の目が向けられています。世界を仰天させる画期的発見とされ、それも日本には数少ないリケジョによる成果と云うことで、大いに期待をしていただけに本当に残念です。先日理研の中間報告会が行われましたが、いろいろ論文の不備が浮き彫りになっただけで、肝心のSTAP細胞が存在するかどうかはハッキリせず、小保方さんが発表会見で満面の笑みを浮かべながら指差していた、「グリーン色に染まった物体」が一体何なのかは、明らかにならないままでした。
それにしても小保方さんの研究者としての資質には、本当にがっかりしました。他人の文献をそっくりそのまま無断引用するなど言語道断と云えます。人からものを借りるときは挨拶かお礼を云うのが当たり前で、何も云わずに自分のものにしては泥棒と同じで、全く倫理に欠けると云われても仕方ありません。いま大学生にレポートを書かせると、インターネットからの「コピペ」(コピー&ペースト)が多いと云います。しかしアメリカではたとえ宿題のレポートでも、コピペと分かれば退学させられるという話しを聞きます。剽窃はそれくらいの厳しさが求められる行為なのです。また、写真の流用とか修正もうっかり取り違えたとか、見やすくするために行ったとか云っておられるようですが、少なくとも責任ある研究者なら自分の論文に載せる写真を取り違えることなど絶対にありません。それに写真に手を加えたら「改ざん」になることぐらいは子供にでも分かることです。
 私も理系の人間だから分かるのですが、研究者は自分が解明しようとする事象に対し、常にあるモデルを思い描きます。つまり解明しようとする事象はこうしたモデルに従って起きるのではと考えるわけです。そして実験でそのモデルが正しいか間違っているかを実証するわけです。モデルはもちろん研究者の想像力に負うところが大きく、世間の常識を覆すような発想もあれば、チマチマした発想もあるわけです。その意味では小保方さんの発想は常軌を逸したものと云え、実証はかなり難しく、だから発表会見でも「なかなか成果が出ず泣きあかしたり、今日で実験を最後にしよう、明日でやめようと何度も思った」と語っておられたのだと思います。しかしここで注意しなければならないのは、モデルとして考えた発想が正しいかどうかは分からないということです。私たちが生きていくには原理原則にこだわっていもだめで、環境に応じて変化することが大切と云われるように、自分の描くモデルも実験の結果によって、それに順応して常に修正することが必要なのです。そうでないと別の理由でそれらしい結果が出たときに、その説明に苦しむことになったり、折角実験が教えてくれる重要な事実を見逃すことになってしまうからです。ノーベル賞級の発見も実験ミスから見つかったものが非常に多いのです。つまり実験には自分の発想に固執せず、常に視点を変える融通性が必要であり、そのためにも実験には誠実、かつ謙虚に取り組む姿勢が求められるのです。詳しいことは分かりませんが、もしグリーン色の細胞が本当に万能細胞なら、小保方さんの云う「ストレス」で発生しようがそれ以外の理由で発生しようが、「できていることは事実」であり、それはそれで素晴らしい発見であると云えるのですが。
 マスコミによると若い研究者が理研で働くには、1年契約で最長5年が基本であると云います。しかし研究生活で1年契約と云うのはかなりのプレッシャーになるハズです。毎年毎年それなりの成果を出し続けることは難しく、まして思い描くモデルが大きければ大きいほど、実証には時間がかかるからです。小保方さんのユニットリーダーというポジションがどのようなものかは分かりませんが、直接の上司もいなかったと云われる中、弱冠30歳の若い研究者には相当な重圧であったことは間違いなく、その若さでは正直、「Nature」に投稿できるだけの実力があったかどうかも疑われます。それを考えると理研の責任も大きく、これを機会に若い研究者を国家としてどう育てていくのか、真剣に考える必要があるのかも知れません。




2014年3月8日土曜日

座禅

 わが家から100mほどのところに「河西寺」というお寺(臨済宗妙心寺派)があります。そこではずっと座禅会が行われていて、私も今から10年以上も前に一度参加して5~6年通ったのですが、地元自治会の役員を引き受けたとき地区行事に追われるなか、ついつい足が遠のいて4~5年のブランクを作ってしまいました。その間にお寺では住職の世代交代があり、新しくやってこられた若オッサンが新たに座禅会を始められ、1年ほど前からまた参加しています。
 座禅会ではまず全員が「般若心経」を始め3つほどお経を唱え、その後に座禅を組みます。以前のオッサン(いまは隠居されています)のときは座禅の時間は大体20分くらいで、その後に1時間ほどの茶話会がありました。参加者は大体5~6人で、私より10歳くらい年上の方たちばかりで、それこそ戦争体験、昔話からいまどきの社会風潮、ニュースなど、いろいろなことをオッサンを交えて談笑しました。オッサンはかつて宮津高校で歴史の先生をやっておられただけに歴史に詳しく、また話題が豊富で、毎日曜日の朝6時半からの座禅会は、この座談が楽しみで参加していたようなものでした。
ところで若オッサンの方は前住職に比べると結構厳しく、座禅は線香の火が消えるまでの30分くらいのものを、5分ほどの休憩をはさんで2回組みます。また、足も素足で両足を組むように求められます。しかし私は足の筋肉が太くて両足組むのが難しく、片足だけで許してもらっています(また冬の間は靴下も許してもらっています)が、それでも20分も経つと足を組んでいるのが段々と苦痛になり、その内に腰や肩までがおかしくなって身体中がワナワナと震えだし、とても「調息」(呼吸を整える)や「瞑想」どころでなくなり、「早く時間がきてくれ!」と祈るばかりの状態になります。2回目の座禅のときは「警策」(肩をたたく板)を持って回られ、私も2~3度たたかれたことがあります。別に痛くはないのでどうということはないのですが、やはりたたかれたくはないので2回目の座禅のときはかなり緊張します。そして目を盗んでは必死に身体の立て直しを図ることになります。いま座禅会に来ているのは大体6~7人で、年齢は私より5~10歳若返りました。もちろん狭い地区なので全員よく知っていますが、いまは座禅の後はお茶を飲んで散会し、茶話会はなく、座禅会も月に2回のためお互いの会話はほとんどなく、なんとなく淡白な感じのものになっています。私にとってはどちらかと云えば苦痛の場になってしまったのですが、熱心に通っておられる他の人は、何を求めて通っておられるのか不思議に思うことがあり、一度聞いてみたいと思っています。というも前住職は「座禅を組むと頭がスッキリして思考がまとまりやすい」とよく云っておられましたが、私自身はあまりそうした実感を持ったことがなく、むしろ茶話会があった時はその談笑から学ぶことが多かったように思うからです。座禅を組むときはいつも、「悟る」とは一体どういうことだろうと考えたりします。むかし巨人軍の川上選手が現役時代、「ピッチャーの投げたボールが止まって見えた」と云っていた話しや、イチロー選手が語る言葉を聞くと、一芸に突出した人が到達する「ある境地」を感じます。そしてそれは悟りに通じる境地なのかと考えたりします。一方で子供のころに読んだ「象とメクラ」の話しを思い浮かべます。鼻に触ったメクラは「象は筒のようなものだ」と感じ、耳に触ったメクラは「ウチワのようなものだ」と感じ、しっぽに触ったメクラは「ひものようなものだ」と感じたという話しです。つまり同じ事象も視点を変えると全く違って見えることを諭した話しで、この話しからすると人生体験の少ない者がいたずらに座禅を組んで瞑想しても、何も見えてこないのではといぶかしく思ったりします。だから禅の修行では師からいろんな難問を問われ、それに即答できるか「禅問答」という試練があるのだろうと思います。しかし同じ世界の人間同士が禅問答をしていても視点が限られ、なかなか悟りの境地に達しえないのではと考えたりもします。かつて茶話会があったころオッサンに、「本来人間を救うべき宗教が戦争を引き起こしたり、同じ宗教がいくつもの宗派に分かれていがみ合うのはおかしいのでは?」と聞いたことがあります。オッサンはただ笑って頭をかいておられましたが、所詮、宗教と云っても人間が作ったもの、悟りのレベルからは程遠いものなのかも知れません。だから座禅も「有酸素運動」の一つぐらいに考えておいた方がよいのかも知れません。
 ところで俳人の正岡子規は、悟りとは「死ねと云われたらいつでも死ねる覚悟のできた境地」と最初考えたそうです。しかしその後「どんな境遇に置かれても生きようとする気持ちが備わった境地」と考え直したと聞いたことがあります。生死をさまよって生きた子規らしい考え方の変化ですが、後の生命を大切にしようとする考えには共鳴できるものを感じます。ちなみに私自身は悟りの境地を「カエルにしょんべん」と思っています。しょんべんをひっかけられても涼しい顔のカエルの心境です。とても到達できませんが。