2014年3月17日月曜日

リケジョ(つづき)

 小保方さんの「STAP細胞」に疑惑の目が向けられています。世界を仰天させる画期的発見とされ、それも日本には数少ないリケジョによる成果と云うことで、大いに期待をしていただけに本当に残念です。先日理研の中間報告会が行われましたが、いろいろ論文の不備が浮き彫りになっただけで、肝心のSTAP細胞が存在するかどうかはハッキリせず、小保方さんが発表会見で満面の笑みを浮かべながら指差していた、「グリーン色に染まった物体」が一体何なのかは、明らかにならないままでした。
それにしても小保方さんの研究者としての資質には、本当にがっかりしました。他人の文献をそっくりそのまま無断引用するなど言語道断と云えます。人からものを借りるときは挨拶かお礼を云うのが当たり前で、何も云わずに自分のものにしては泥棒と同じで、全く倫理に欠けると云われても仕方ありません。いま大学生にレポートを書かせると、インターネットからの「コピペ」(コピー&ペースト)が多いと云います。しかしアメリカではたとえ宿題のレポートでも、コピペと分かれば退学させられるという話しを聞きます。剽窃はそれくらいの厳しさが求められる行為なのです。また、写真の流用とか修正もうっかり取り違えたとか、見やすくするために行ったとか云っておられるようですが、少なくとも責任ある研究者なら自分の論文に載せる写真を取り違えることなど絶対にありません。それに写真に手を加えたら「改ざん」になることぐらいは子供にでも分かることです。
 私も理系の人間だから分かるのですが、研究者は自分が解明しようとする事象に対し、常にあるモデルを思い描きます。つまり解明しようとする事象はこうしたモデルに従って起きるのではと考えるわけです。そして実験でそのモデルが正しいか間違っているかを実証するわけです。モデルはもちろん研究者の想像力に負うところが大きく、世間の常識を覆すような発想もあれば、チマチマした発想もあるわけです。その意味では小保方さんの発想は常軌を逸したものと云え、実証はかなり難しく、だから発表会見でも「なかなか成果が出ず泣きあかしたり、今日で実験を最後にしよう、明日でやめようと何度も思った」と語っておられたのだと思います。しかしここで注意しなければならないのは、モデルとして考えた発想が正しいかどうかは分からないということです。私たちが生きていくには原理原則にこだわっていもだめで、環境に応じて変化することが大切と云われるように、自分の描くモデルも実験の結果によって、それに順応して常に修正することが必要なのです。そうでないと別の理由でそれらしい結果が出たときに、その説明に苦しむことになったり、折角実験が教えてくれる重要な事実を見逃すことになってしまうからです。ノーベル賞級の発見も実験ミスから見つかったものが非常に多いのです。つまり実験には自分の発想に固執せず、常に視点を変える融通性が必要であり、そのためにも実験には誠実、かつ謙虚に取り組む姿勢が求められるのです。詳しいことは分かりませんが、もしグリーン色の細胞が本当に万能細胞なら、小保方さんの云う「ストレス」で発生しようがそれ以外の理由で発生しようが、「できていることは事実」であり、それはそれで素晴らしい発見であると云えるのですが。
 マスコミによると若い研究者が理研で働くには、1年契約で最長5年が基本であると云います。しかし研究生活で1年契約と云うのはかなりのプレッシャーになるハズです。毎年毎年それなりの成果を出し続けることは難しく、まして思い描くモデルが大きければ大きいほど、実証には時間がかかるからです。小保方さんのユニットリーダーというポジションがどのようなものかは分かりませんが、直接の上司もいなかったと云われる中、弱冠30歳の若い研究者には相当な重圧であったことは間違いなく、その若さでは正直、「Nature」に投稿できるだけの実力があったかどうかも疑われます。それを考えると理研の責任も大きく、これを機会に若い研究者を国家としてどう育てていくのか、真剣に考える必要があるのかも知れません。




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