「「エコの環」野菜の精進料理を頂き ”命”について考える」という少々固めのちーたびを募集したところ、18名の参加希望者があり、先週の土曜日に江西寺(宮津市須津)と海蔵寺(伊根町平田)の二寺で実施しました。前の週は全国的に強烈な寒波が襲い、沖縄にも雪が降り、どうなることかと心配しましたが、当日は前日からの雨が少し残る程度で寒さも大分ゆるみ、正直ホッとしました。
江西寺ではまず、ゼオライトと回転可能な箱を使う私たちの生ごみ発酵処理法(宮津方式)について紹介しました。本当は江西寺の横にある「たい肥小屋」へ案内し、現地で説明したかったのですが、足元が悪いうえに寒く、全員を案内するのは難しい考え、模型を使っての説明だけにしました。
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尾関住職の法話 |
続いて全員で「般若心経」を読経した後、江西寺の尾関住職より「命」についての法話がありました。
命は自分の力ではどうにもならないもので、生きとし生けるものはすべて「無常」である。仏教は108の「煩悩」を取り除く教えで、一日一日が修行であり、その修行によりあらゆる苦悩・困難を乗り越えようと考える。「輪廻」とは、前世があっていまの自分があり、いまの自分が来世の自分になるという考えで、自分はへびが嫌いだから前世はカエルだったかもしれない、といった話をされました。
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風竹図屏風の拝観 |
次に江西寺所蔵の与謝蕪村の「風竹図屏風」の拝観・説明に移りました。蕪村がまだ修業時代に当地に立ち寄った際に描いたもので、風にそよぐ竹の葉っぱの音が聞こえる感じがすると説明されました。
そのあと全員が車で約40分の海蔵寺に場所を移し、まず私がスライドを使って、「エコの環」事業とそこから感じる「命」についてお話ししました。
この自然界ではあらゆる生き物は命を失うが、その命は土壌微生物によって「生きた土」に変えられ、それが新たな生き物を生む「肥し」になる。見事なまでの「命のリレー」(完全なサイクル)が行われている。手塚治虫の作品に「ブッダ」(全8巻)という長編漫画があるが、その中で、この地上のあらゆる生き物は死ぬと「命のかけら」となり、やがてお互いがくっつき合って混然一体となり、宇宙という大きな球体に吸い込まれていく。同時にその宇宙からは無数の命のかけらが飛び出し、この地上に降り注いでありとあらゆるものに命を吹き込むところが描かれている。これは仏教でいう「輪廻転生」であり、あらゆる動物・植物の命はつながっていることを表現している。食事は動植物の「命」を頂く行為であり、感謝して食べる必要がある。生ごみをたい肥にして野菜を育て販売する「エコの環」は、自然の摂理に適っている、といったことをお話ししました。
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精進料理の会食 |
その後、海蔵寺の天野住職が作られた精進料理を、住職の説明を聞きながら全員で頂きました。料理は9品からなり、そのうちの8品に大根、かぶ、さつまいも、里芋、ニンジン、ごぼう、菜花、白菜、ブロッコリーなど、11種類の「エコの環」野菜を使って頂きました。通常より野菜のうまみを生かす味付けにしたというお話でしたが、しいたけ、コンブでしっかり取ったダシの味付けに、「おいしい」という声が一斉に上がりました。また、「野菜が甘い」といった声もあちこちから聞かれました。住職によると精進料理というと減塩料理と勘違いされる方もいるが、ダシをしっかり取り、塩分も控え目ということはないとのことでした。精進料理では避けるべき食材に動物性食材と、五軍と呼ばれるネギ属の野菜(ネギ、ラッキョウ、ニンニク、玉ねぎ、ニラ)があり、それらは使っていない。しかしそれでは一般の人には物足りないので、大豆で作った「鶏肉もどき」が一品入っているとの説明でした。
精進料理を頂いた後に交流会を行いました。一人一人に感想を述べて頂きましたが、みなさん普段はあまりお寺とは縁がなく、法話を聞いたり精進料理を頂くといった体験が少ないようで、「気持ちがとても新鮮になった」とか、「日々感謝して生きる大切さを教わった」といった意見が多く出ました。また、普段は胸やけがして多く食べられないという人も、糖尿病で食事制限をしているという人も、今回の精進料理はとてもおいしかったそうで、どちらの人も食材と食材の味を生かした味付けの大切さを述べておられました。私たちの「エコの環」活動については、「非常に理に適った活動で面白い」、「たい肥作りに非常に関心がある」、「多くの人にもっと活動が伝わってほしい」、「野菜が非常に甘くておいしい」といった意見が出され、とても心強く感じました。
参加者の多くから好意的な意見をお聞きし、とても意を強くすると同時に、充実した気持ちでちーたびを現地で散会しました。