2013年11月24日日曜日

感性だよ!(つづき)

 小泉純一郎元首相の脱原発に向けた快進撃が止まらないようです。これまでの私的講演会での発言から、先日(11/12)はついに日本記者クラブで400名以上もの記者、カメラマンを集め、公式会見を行うまでになりました。テレビの報道番組でも小泉さんのこの行動を、安倍首相に挑戦状を突きつけたものとして盛んに取り上げ、賛否両論の意見が戦わされています。そんななかコメンテーター、政治家で「小泉さんなら安倍首相と差しで話しができるはず、なぜそうしないのか」、「脱原発の野党と話し合いを持ちながら共闘はしないと云っている。その気なら新党を作ることも考えるべきではないか」、「原発ゼロへの具体的な道筋が分からない」などと小泉さんの発言に理解を示しつつも、小泉さんの行動には批判的・懐疑的意見を述べている人が多くいました。確かに彼らの意見は極めて常識的で、筋が通っていると云えます。しかしそれは極めて一般的な「陳腐な道理」というもので、いまはもうそうしたありきたりの発想・手段では、この国の原発政策の「固い殻」は破れないということです。あれだけ勢いのあった「大阪維新の会」が「たちあがれ日本」と組んだがため、すっかり勢いをなくしてしまったことを見ても分かります。
日本記者クラブでの講演
こんな話しを聞いたことがあります。江戸時代にある大きな商家が事業に失敗し、おまけに主人が亡くなり、後家となった奥さんは大量の借金を抱えて途方に暮れたそうです。立派な家屋敷を売り払っても、とても借金の穴埋めにはならないと思われたからです。そのときその後家さんが一計を案じ取った行動は、家屋敷を景品に「富くじ」を売るというものでした。その一計は見事に当たり、富くじが売れに売れて借金をすっかり返済できたという話しです。
 この話しで云えることは、「富くじ」という発想は我々凡人にはなかなか生まれるチエではないということです。我々はせいぜい業者を介してできるだけ高く売るぐらいが関の山で、オークションにかけることすら思いつかないでしょう。万が一、「富くじ」という発想を思いついたとしても、富くじが売れなかったらそれこそ二束三文のお金で家屋敷を手放すことになり、決断にはかなりの勇気がいります。富くじが飛ぶように売れたのは、やはり後家さんのひらめきというか、「すばらしい感性」があったからで、世間一般の考え・道理にとらわれがちな我々には、なかなかマネのできることではないということです。
 小泉さんの今回の行動には代案がなく、無責任で楽観的だとの批判が多いようです。しかしいまの日本の原発政策が置かれた状態は、何かの代案があれば解決するようなものではなく、「進むも地獄、引くも地獄」の状態にあります。そうならここは「原発ゼロ」で腹をくくるしかないのではないでしょうか。福島第一原発事故は我々に、「原子力」はとても人間の手に負えるものではないことを教えてくれました。ここでまた従来の「安全神話」を信じもし事故を起こしたら、今度こそ日本は完全に破滅します。小泉さんの言葉、「政治で一番大事なのは方針を示すこと。原発ゼロの方針を政治が出せば、専門家や官僚が必ずいい案を作ってくれる」を、私も信じたいと思います。

2013年11月9日土曜日

チャレンジ

なばなの里のイルミネーション
先日テレビで、桑名市のなばなの里のイルミネーションを紹介していました。今年は10回目の開催になるとかで、開場を楽しそうに待つ家族ずれや、700万個の電球を使ったイルミネーションの数々を映していました。もちろんLED電球を使ったイルミネーションで、使用電力量は大したことないのでしょうが、私はこうしたイベントを見聞きすると、いつも違和感を感じます。阪神・淡路大震災後に、被災者の鎮魂と追悼を兼ねて始められた神戸市のルミナリエはまだしも、福島第一原発事故で故郷を追われた人たちがいまだ15万人以上もおられ、風評被害に苦しんでおられる農業・漁業関係者、汚染水の流出と必死に戦っている原発作業員が大勢おられるなか、わずかとはいえ電力を使うそうしたイベントが、本当に必要なのかとつい考えてしまうからです。
 話しは飛躍しますが、オリンピックの代表選手とか野球・サッカーなどの選手が、大事な試合を前によく「試合を楽しみたい」と云います。私はこの「楽しむ」という言葉を聞くたびに、どういう心境・境地を指すのだろうとつい考えたりします。日の丸を背負ったり、多くのファンを前にしたときの緊張感は想像を絶するものがあり、私なら楽しむどころか重圧で逃げ出してしまうだろうと考えるからです。かつて阪神の掛布選手にスポーツ記者が、「大声援のなかバッターボックスに向かう心境」を聞いたことがあります。そのとき彼は「声援は全く聞こえない」と答えていました。相手ピッチャーとの真剣勝負に向かう彼にすれば、気力負けしないよう全神経を最高に研ぎ澄ました状態にあり、周りの雑音など全く聞こえないのだろうと考えられます。もしここで監督が「バッター交代」を告げたら、掛布選手はホッとするどころか怒り狂うだろうと想像されます。野球選手の彼にすれば、その猛烈な重圧のなか、逃げずに相手に向かっていく瞬間こそが最高に充実したときであり、試合をまさに楽しんでいると考えられるからです。では一般人の私たちの場合はどうなのでしょう。私たちにも常にいろんな難題・課題が重圧となって降りかかってきます。そのとき適当に妥協してその難題・課題から逃げるか、あるいはチャレンジするかの選択肢があるわけですが、長い人生から見れば成否はともかく、逃げたら後悔が残り、やはり果敢にチャレンジする方に「生きがい」があるのではないでしょうか。
 ここで話しを戻します。福島第一原発事故以来、「脱原発」の声がかなり高まってきています。それに対し、「現在の再生エネルギー技術では原発の代替は不可能で、脱原発を唱えるのは無責任だ」との声が、政府関係者・電力会社などから声高に聞かれます。しかし日本の、また世界のエネルギー問題を真面目に考えるとき、どちらが逃げて、どちらがチャレンジしようとしているのでしょうか。原発事故の前、日本には全部で54基もの原発があり(世界3位)、電力の1/3をまかなっていました。そして原発なしでは日本のエネルギー問題は立ち行かないと固く信じられていました。しかしいまその54基が全部停止し、図らずも「原発ゼロ」が実現しているのです(脱原発を宣言したドイツよりも早く)。誰がこんな事態になることを想像できたでしょう。しかも国民の協力のもとに原発なしでも夏が越せ、電力会社も黒字化を実現しているのです。いまここで原発に頼るのはものすごく楽です。しかしそれでは電力の無駄遣いは改まらず、子孫に膨大な放射性廃棄物のツケを残すだけになります。確かに「創エネ」は難しいかも知れません。しかし腹をくくれば、世界に先駆けた新しい知恵・技術が出てくるかも知れません。日本には戦後の廃墟から立ち上がり、わずか20年で東京オリンピックを開催した力があるからです。また、原発ゼロということは、夜間電力を無理して使う必要がないということであり、「省エネ」、「少エネ」の知恵なら一般の私たちにも出番はあるハズです。廃墟と化した福島第一原発・停止中の全原発を前に、チャレンジするのは「今でしょう」。

2013年11月2日土曜日

異常気象

 気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)が京都で開催され、京都議定書が採択されたのは1997年のことです。以来、「地球温暖化」は私たちにとって非常に身近な言葉になりました。会社で昼休にテニスをやっていた私自身は、それ以前から真夏の暑さが異常に感じられ、仲間によく「太陽がやけに熱くないか」と聞いたりしていましたが、「歳だよ、歳」と一笑に付されるのがオチでした。その後も温暖化については「地球温暖化説は誤りだ」とか、「CO原因説は間違っている」とか、逆に「地球寒冷化説」が唱えられたり、まさに議論が百出しましたが、ただ、最近の日本を始め世界各国で起きている異常気象を考えると、気候変動は間違いなく起きているように感じられ、非常に不安な気持ちになります。
伊豆大島の土砂崩れ
私が子供のころは二百十日とか二百二十日という言葉があり、立春を起点にした9月1日か9月10日ごろに、大雨・大風をもたらす台風のやって来るのが心配されたものです。その頃は大雨の基準も、総雨量で100mmが一つの目安であったように思います。ところが最近は台風以外にもゲリラ豪雨などがあり、わずか1時間に100mmを越す大雨が降ることも珍しくなく、土砂災害となる山崩れまで心配しなければならない始末で、気象庁も「数十年に一度しかないような非常に危険な災害」に対し、「特別警報」の運用を開始することになりました(8月30日から)。しかしそのわずか2週間後の9月16日にはもう台風18号に対し、その第1号となる警報を京都府・滋賀県・福井県に発令するハメとなり、京都府に住むわが家ではそれをテレビで知りましたが、「これまでに経験したことのないような大雨」とか、「ただちに命を守る行動を取ってください」と云われても何をすべきかよく分からず、京都・嵐山の渡月橋がいまにも壊れそうな状況にあるのを、ただテレビで眺めているだけでした。一方、風の方も、「竜巻」と云うのはアメリカの話しとばかり思っていましたが、最近は日本でも頻繁に発生するようになり、こちらも「竜巻警報が発令されました。この警報は何時何分まで有効です」と云われても、具体的にどう対処したらよいのかよく分からないのが実情です。いずれにしても全国いたるところで、何千人、何万人もの人々に再々避難勧告、避難指示が発令される状況は異状であり、気象現象が明らかに「すさまじさ」を伴ったものに変わりつつあると感じられます。
濁流に襲われる渡月橋
ここで心配されるのが食糧問題です。TPP参加で日本の農業は大きな打撃をこうむると考えられ、政府も減反政策をやめ、農業の規模拡大による対抗策を考えているようですが、アメリカやオーストラリアといった農産物輸出国にしても、いますでに地下水の枯渇、塩類の集積、砂漠化といった問題を抱えるなか、果たしてこうした気候変動に対し、いつまで輸出国でありえるかが心配されます。これからは大規模農業ほどリスクは大きく、小規模農業(農業本来の姿)を見直すときが来ているように感じます。