2016年11月21日月曜日

野菜販売の集計

 いま、全国的に野菜が非常に高騰しているようです。その影響で三重県鈴鹿市では、学校給食の2日間休止を決めたそうです。その後その決定は撤回されましたが、1日分は災害時用の備蓄食で対応するといいます。休止はしないまでも、献立の変更や野菜の変更はかなりの学校で行われているようです。この異常事態の原因には、台風や秋雨前線による天候不順の影響が大きいようです。そういえば私たちの「エコの環」野菜も、例年9月は端境期で出荷量が落ちるのですが、今年はいまに至っても出荷量が全然回復せず、やはり天候の影響が大きいのかなと思っています。栽培者の皆さんに聞いても、「ニンジン、小松菜の種をまいたが発芽しない」、「全然大きく育たない」、「大根、白菜が虫にやられ全滅だ」などといった声が返ってきて、出荷量の回復が心配されます。

 ところでいま、従来の野菜販売の集計方法を大きく見直しています。というのも野菜販売額が大きく伸びてきたのは有難いのですが、それに伴って毎月の集計作業量が増え、特にこの夏の販売額が10万円を超えた2ヶ月間は、野菜の出荷準備、販売もさることながら、その集計に大変な労力を要したからです。

 いまやっている集計作業を簡単に紹介すると、毎週木曜日の販売日に合わせ、前日の夕方から野菜が集まってきます。そこでそれを洗ったり、不良部分を取り除いたりしながら計量、袋詰めをします。そして京都生協のチラシを参考に、家内ともう一人の女性とで販売単価を決め、栽培者、野菜名、出荷個数、販売単価を記した「価格表」を作成します。木曜日当日も早朝から同様の作業を続け、その後その「価格表」を持って訪問販売に出かけます。販売から帰ると家内はすぐに出荷伝票、メモを頼りに、販売先ごとに野菜名、栽培者名、販売個数、販売額をノートに記帳し始めます(「販売表」)。在庫管理も含めたこの作業が結構大変で、1回の販売につき2~3時間かけています。
栽培者の集計表
1ヶ月経ったところで、今度は私が家内のノートをパソコンに転記します(「集計表」)。そして販売額、手数料、栽培者分配金、NPO収益などを同時に計算します。この表を基にピボットテーブルというエクセルの集計ソフトを使って、掛け売りの販売先には日付、野菜名、販売個数、販売額の集計表を作成し、請求書を作ります。栽培者には日付、野菜名、販売個数、分配金の集計表を作成し(右図)、領収書を作ります。この作業も結構大変で、5~6時間かかります。

 以上のやり方では野菜の出荷量が増えてきたとき、作業量が膨らむばかりで大変です。作業量をもっと減らすにはどうしたらよいか、たまたま帰ってきた子供たちの知恵も借りながら、以下の方法を考えました。

 まず、予め栽培者ごとに野菜名を列挙した表を作っておきます。そして野菜の販売単価が決まったとき、パソコン上のこの表の所定欄に出荷個数と販売単価を入力します。この作業量は現在の作業量と大差ありません。入力し終わったら表をフィルターにかけ、未入力の行を削除すると出荷野菜についての「価格表」ができあがります。

 次にこれを販売先を縦列に配した下表の左端にコピーすると、販売先A、B、C・・・ごとの「販売表」ができるので、あとは販売先ごとに野菜の「販売個数」だけを入力すれば、販売額、販売残の個数、栽培者の分配金、NPOの収益などが計算され、「販売表」の作成時間は大幅に削減され、「集計表」は作る必要がなくなります。



 早速、家内にパソコンの「販売表」に「販売個数」だけの入力を試してもらいました。しかしここで大きな問題の発生することが分かりました。折角苦労して決めた「価格表」の販売価格が変わるのです。どういうことかというと野菜が売れ残ったときとか、つり銭や買い手に細かいお金がないような場合、どうしても販売価格を下げるようなことが発生するのです。また、先週、先々週からの在庫(サツマイモとかカボチャなど)を持って行って販売することもあり、すると販売価格を変えるごとに、また、在庫の野菜を売るたびに「販売表」に新たな行を加え、新たな価格、野菜名を入力する必要が生じるのです。この新たな入力が結構多く、パソコンに不慣れな家内には結構大変な作業でしたが、それでも40分ほどで「販売表」を作ることができました。これで時間の短縮はかなり改善されましたが、新たな行を作成すると在庫の計算が難しくなり、それをどうするかいま思案しているところです。


 
 

2016年11月1日火曜日

一汁三菜

 「一汁三菜を作ってみよう」のちーたびを行いました。昭和40年頃の味探訪シリーズとして、当時私たちは日常的にどんなものを食べていたかを思い出し、味わってみようという試みで、参加者は6名でした。

 最初に「ほしいもの会」(丹後アレルギーを考える会)代表の青木さんから、「なぜ昭和40年頃の味?」と題してお話をして頂きました。青木さんはアレルギーがまだそれほど認知されていなかった1988年頃、同じ悩みを持つ親御さん同士の交流を始められ、周囲の無理解とも闘いながら、懸命に子供さんのアレルギーと闘ってこられました。そして長い歴史の中で創られた身体の消化吸収の仕組みが、高度成長期以後のわずか40年間に起きた食生活の激変について行けず、悲鳴を上げていると感じ、だから食生活の改善が最も大切で、激変が始まる前の昭和40年頃に立ち戻る必要があると話されました。また、いまはあらゆるものに化学物質・電磁波が利用されているため、そうしたものへの過敏症が増えており、「衣食住」全体の見直しも必要と話されました。

 次にすゞ菜の女将、小西さんより、一汁三菜の調理法を学びました。汁はサツマイモの味噌汁、主菜は焼き魚(いしもち)、副菜は野菜の煮物(里芋、ごぼう、にんじん、いんげん、こんにゃく、油揚げ)、副副菜は白和え(春菊、小松菜、ヒジキ、にんじん、こんにゃく、豆腐、ごま、味噌)で、ごはんは白米に丸麦を5%ほど混ぜて炊きました。小西さんからは特に「ダシ」の取り方に力を注いでもらいました。味噌汁を作るとき、じゃことコンブを入れたザルをサツマイモと一緒に鍋に入れると、サツマイモをゆでながらダシが取れる裏ワザには、皆さん感嘆の声を上げておられました。ダシは洗い物などをしながら2日分ほどを作り、冷蔵庫に入れるようにすれば、作るのが全然負担にならないと説明されていました。インスタントのダシも皆さんに味わってもらいましたが、「味が後に残る」というのが共通の声で、小西さんによれば「ダシをしっかり取れば砂糖が減らせ、塩も減らせる」ということでした。
サツマイモを煮ながらのダシ取り

 丁度お昼の時報と共に料理の盛り付けが終わり、全員で料理を頂きました。私の方から「本日使った野菜はすべて生ごみ発酵肥料で作った「エコの環」野菜である」と紹介しましたが、「ダシの味がさっぱりしていて野菜の味がよく出ている」との声を聞くことができました。愉快だったのは2歳の子供さんが2人、1歳の子供さんが1人、2人のお母さんに付いて来ていたのですが、その子供さんたちが白和えをパクパク食べたり、「ごぼうがおいしい」と野菜の煮つけをおかわりしたり、味噌汁も「おいしいんだもん」といって何杯もおかわりしてくれたことです。普通子供は野菜を嫌がるだけに皆さんもビックリで、青木さん、小西さんからも「こんな小さい子供がおいしいと感じるのは本能的な感覚であり、やはりダシはしっかり取ってあげてほしい」と呼びかけがありました。


 昼食後に交流会を持ちました。始めに私の方から「いま食べた昼食で、魚の頭や骨の食べ残し、野菜の調理屑が大分発生しましたが、それが全部発酵肥料になり、また新たな「エコの環」野菜に変わります」と説明すると、皆さん大きく頷いておられました。次にスライドを使って「玄米菜食の食事をしておれば、ガンを始め生活習慣病の心配はまずないそうです。しかしそうした食事では早く枯れた仙人タイプになりやすいので、もう少し逞しく活力ある身体を望むなら、魚を加え、たまに肉を食べるぐらいが良いそうです。昭和40年ごろ日常的に食べていた「一汁三菜」はまさにそうした食事であり、腹いっぱい食べても代謝が活発でメタボになりづらく、健康的に最も優れた長寿食と言えそうです。私たち人間も結局は動物であり、あまり美食に走らず、身体を常に動かすことでよい汗をかき、体温を上げ、酸素を十分に取り込む生活をしておれば、健康長寿は間違いないそうです」と話しました。皆さんからは「ダシの大切さを再認識した」、「短時間に簡単にできるので、今日から始めたい」、「食事の大切さを知った。さらに学びたい」、「持続可能な「エコの環」野菜に興味を持った」などの感想が寄せられました。