一汁三菜
「一汁三菜を作ってみよう」のちーたびを行いました。昭和40年頃の味探訪シリーズとして、当時私たちは日常的にどんなものを食べていたかを思い出し、味わってみようという試みで、参加者は6名でした。
最初に「ほしいもの会」(丹後アレルギーを考える会)代表の青木さんから、「なぜ昭和40年頃の味?」と題してお話をして頂きました。青木さんはアレルギーがまだそれほど認知されていなかった1988年頃、同じ悩みを持つ親御さん同士の交流を始められ、周囲の無理解とも闘いながら、懸命に子供さんのアレルギーと闘ってこられました。そして長い歴史の中で創られた身体の消化吸収の仕組みが、高度成長期以後のわずか40年間に起きた食生活の激変について行けず、悲鳴を上げていると感じ、だから食生活の改善が最も大切で、激変が始まる前の昭和40年頃に立ち戻る必要があると話されました。また、いまはあらゆるものに化学物質・電磁波が利用されているため、そうしたものへの過敏症が増えており、「衣食住」全体の見直しも必要と話されました。
次にすゞ菜の女将、小西さんより、一汁三菜の調理法を学びました。汁はサツマイモの味噌汁、主菜は焼き魚(いしもち)、副菜は野菜の煮物(里芋、ごぼう、にんじん、いんげん、こんにゃく、油揚げ)、副副菜は白和え(春菊、小松菜、ヒジキ、にんじん、こんにゃく、豆腐、ごま、味噌)で、ごはんは白米に丸麦を5%ほど混ぜて炊きました。小西さんからは特に「ダシ」の取り方に力を注いでもらいました。味噌汁を作るとき、じゃことコンブを入れたザルをサツマイモと一緒に鍋に入れると、サツマイモをゆでながらダシが取れる裏ワザには、皆さん感嘆の声を上げておられました。ダシは洗い物などをしながら2日分ほどを作り、冷蔵庫に入れるようにすれば、作るのが全然負担にならないと説明されていました。インスタントのダシも皆さんに味わってもらいましたが、「味が後に残る」というのが共通の声で、小西さんによれば「ダシをしっかり取れば砂糖が減らせ、塩も減らせる」ということでした。
サツマイモを煮ながらのダシ取り |
丁度お昼の時報と共に料理の盛り付けが終わり、全員で料理を頂きました。私の方から「本日使った野菜はすべて生ごみ発酵肥料で作った「エコの環」野菜である」と紹介しましたが、「ダシの味がさっぱりしていて野菜の味がよく出ている」との声を聞くことができました。愉快だったのは2歳の子供さんが2人、1歳の子供さんが1人、2人のお母さんに付いて来ていたのですが、その子供さんたちが白和えをパクパク食べたり、「ごぼうがおいしい」と野菜の煮つけをおかわりしたり、味噌汁も「おいしいんだもん」といって何杯もおかわりしてくれたことです。普通子供は野菜を嫌がるだけに皆さんもビックリで、青木さん、小西さんからも「こんな小さい子供がおいしいと感じるのは本能的な感覚であり、やはりダシはしっかり取ってあげてほしい」と呼びかけがありました。
昼食後に交流会を持ちました。始めに私の方から「いま食べた昼食で、魚の頭や骨の食べ残し、野菜の調理屑が大分発生しましたが、それが全部発酵肥料になり、また新たな「エコの環」野菜に変わります」と説明すると、皆さん大きく頷いておられました。次にスライドを使って「玄米菜食の食事をしておれば、ガンを始め生活習慣病の心配はまずないそうです。しかしそうした食事では早く枯れた仙人タイプになりやすいので、もう少し逞しく活力ある身体を望むなら、魚を加え、たまに肉を食べるぐらいが良いそうです。昭和40年ごろ日常的に食べていた「一汁三菜」はまさにそうした食事であり、腹いっぱい食べても代謝が活発でメタボになりづらく、健康的に最も優れた長寿食と言えそうです。私たち人間も結局は動物であり、あまり美食に走らず、身体を常に動かすことでよい汗をかき、体温を上げ、酸素を十分に取り込む生活をしておれば、健康長寿は間違いないそうです」と話しました。皆さんからは「ダシの大切さを再認識した」、「短時間に簡単にできるので、今日から始めたい」、「食事の大切さを知った。さらに学びたい」、「持続可能な「エコの環」野菜に興味を持った」などの感想が寄せられました。
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