天橋立の内海、阿蘇海に面する「溝尻の集落」には、伊根ほど知られてはいませんが「舟屋」(船のガレージ)があります。先日、そこを見学するちーたびがありました。溝尻は私が京都北都信用金庫を始め多くの方々の支援を受け、2002~2005年にかけ阿蘇海のへどろから人工ゼオライトを合成する実験を行っていたところであり、また、ちーたびのチラシに載っていた案内人の2人の船長はよく知っている人たちで、ついなつかしく家内と一緒に出掛けてきました。参加者は15名ほどで丹波篠山、西宮から来ておられる人達もいて、「海」には何か人を引き付ける郷愁のようなものがあるのかと感じました。
実験をやっていたころ、舟屋は度々陸側から見ていましたが、海側から船で見るのは今回が初めてで、全部で40戸ほどある舟屋はちょっとした景観でした。ただ、赤さびたトタンや継ぎはぎが目立ったり、傾いでいたり、船のない空き家があったり、案内する側には「人に見せるほどのものではない」といった気おくれもあったようですが、しかしそこには日常の生活臭が漂っていて、遠方から来た人たちには「そこがたまらない魅力」に映ったようです。ある参加者の話しによると、いま日本を訪れる外人観光客には、観光名所を訪ねるより銭湯に行ったり、たこ焼き・お好み焼きを食べ歩き、日本人の日常生活を体験する人が増えているそうです。観光の魅力とは本当はそうしたものなのかも知れません。
船長によると、彼が中学生のころ(昭和40年ころ?)はクルマエビなどがいっぱい獲れ、それを運ぶのがよいアルバイトになったと云います。阿蘇海はまさに豊饒の海であったわけです。しかしその後の高度成長で私たちの生活は一変し、それが周りの環境に多大な影響を及ぼし、その結果として阿蘇海の環境もすっかり変わってしまったのでしょう。また、ほんの20年ほど前まで中学校や高校へ生徒を運ぶ連絡船もあったと聞くと、阿蘇海はまさに地域の人々の日常生活の中心にあったわけです。とはいえ、いまでも舟屋前あたりの砂地ではアサリやハマグリが獲れ、また護岸近くに仕掛けをしておくとウナギが獲れると云います。当日のかち網漁の実演でも舟屋近くでクロダイが4匹ほど引っ掛かり、昼食にはコノシロのつみれのまぜご飯、アサリのみそ汁、文珠水道で獲ったカキのフライを頂くことができました。こうした阿蘇海の自然の恵みを目の当たりにすると、「豊かさとはなんだろう」と改めて考え直したりしました。
私たちはNPO法人として「阿蘇海の環境問題」に関わっています。しかし正直いってほとんどの人は関心を示しません。阿蘇海で魚が獲れなくても、地球の裏側からでも安い魚はいっぱい届き、何も困らないからです。チルチルミチルの青い鳥ではありませんが、人は幸せは遠くにあると思いがちです。そしてグローバリゼーションの流れに乗って近くにあるものの価値を忘れがちです。しかし青い鳥(幸せ)は本当はすぐ近くにいるのであり、阿蘇海の環境にもそうした視点が重要だと考えます。今回、ある漁師さんが当日獲った魚を見せてくれました。その中にかつて阿蘇海の名物だった「金樽イワシ」が1匹いました。いまはほとんどいないとのことでしたが、はじめて見たその姿は銀色に輝き脂がのっていて、とてもうれしく感銘を受けました。
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金樽イワシ |