2020年7月28日火曜日

へどろから見た持続可能な世界-1

 私たちはへどろ活用の二本柱の一つとして、高齢者事業「エコの環」を回しています。
 生ごみの発酵材には天然ゼオライトを使っていて、まだへどろから作ったゼオライトを使っていないため、二本柱の一つにならないとの指摘を受けることがあります。しかしゼオライト合成事業を立ち上げるには、安定した需要の確保と見合ったコストの実現が大前提であり、その目途がない限り工業化は難しいのです。

 そこで私たちは「生ごみ」に目を付けました。生ごみは毎日大量に確実に発生し、燃やすには勿体ないほどの栄養価のある有用資源です。しかもゼオライトは土壌微生物が生息しやすい土で、生ごみを発酵させるのに最適な資材と考えたからです。

 一方で第一線を退いた高齢者が先ずすることは、家族のための野菜作りです。家族のために無農薬のいい野菜作りに励んでいますが、取れ過ぎた野菜の処理に困ったり、少しでも小銭が稼げたらと考えたりしています。

 こうした背景から生まれたのが高齢者事業「エコの環」です(2012)。「エコの環」がうまく回り、その公益性が広く認知されれば、ゼオライト合成事業の立ち上げは簡単と考えたからです。
 とはいえゼオライトを使った生ごみの発酵処理から、発酵肥料だけによる野菜の栽培、できた野菜の販売、どれも素人ばかりの全く白紙からの挑戦でした。しかしそうした挑戦・経験を重ねることで、生ごみ処理に多くの技術改善が加えられ、「エコの環」野菜は市販のものより栄養価が高く、味も美味しいといえる自信がついてきました。そしていまは週に一回、7~8人が作る無農薬野菜を10人ほどのお客さんに購入してもらっています。しかし規模が小さいことからなかなか採算が取れず、非常に苦労しています。
販売野菜の例

 どんな職業もそうでしょうが、特に農業は規模がある程度大きくないと採算が取れないといわれます。極端な例はアメリカなどにおける小麦、大豆、トウモロコシなどの大量生産です。見渡す限りの耕作地で単一作物の生産が行われています。しかもそれを数人で経営しているのです。

 しかし規模が大きくなるといろいろな観点から持続性が難しくなってきます。
 一つは肥料の問題です。農業の規模が大きくなれば化学肥料に頼らざるを得ません。しかしカリやリンなどの原料となる資源は特定の国に偏在しており、しかもいつかは枯渇します。現に国によっては禁輸措置が取られたり、輸出規制が敷かれたりしています。
 二つ目は水の問題です。農業では大量の水を使います。トウモロコシ1トン生産するのに1,000トン、大豆は2,400トン、小麦は2,900トンもの水が必要で、水の枯渇化を引き起こしやすいのです。オーストラリアでは飲み水が不足し、農産物の輸出に反対する運動が起きたりしているそうです。
 三つ目は砂漠化の問題です。作物を育てる土は無機質のカタマリではありません。そこには土壌微生物、ミミズ、小動物、雑草などが生存し、それらの死骸や排泄物なども加わって、有機物と無機物が非常に複雑な生態系を形作っています。つまり「土は生きている」のです。だから作物を生産して収穫すれば、その生態系にはかなりのダメージが与えられます。そこで不足した有機物を補ったりして生態系の回復を促す必要がありますが、その回復力を超えて生産したり、化学肥料や農薬で生態系を傷めたり、重機械で圧したりこね回したりすると土は死んでしまい、砂漠化が進みます。砂漠化の問題は深刻で、世界人口を支えられないところにきています。

 ところでキューバは、かつてソ連からの石油、化学肥料に依存して大規模な農業を行っていました。ところが1991年にソ連が崩壊すると石油、化学肥料がストップし、食糧危機に直面させられました。そこでキューバは小規模な有機農業にかじを切らざるを得なくなり、国営農場を始め都市部の空き地にまでそうした農業を展開し、国難を乗り切ったといいます。そしていまは有機農業の先進国になっています。

 このキューバの話は大きな示唆に富んでいます。
 石油依存型単一種栽培の大型農業は持続が難しく、これからは多品種栽培の小さな有機農業に目を向けざるを得ません。キューバの例はそれが可能なことを教えてくれます。しかもコロナ禍でテレワークが進めば都会に住む必要はなくなり、今のような農村と都市との乖離形態は崩れ、自分が住む地域単位での自給自足型農業への転換が進むと考えられます。

 そうしたとき高齢者事業「エコの環」は、まさに持続が可能な農業形態であり、しかも高齢者が社会に大きく貢献できる優れたシステムではないかと考えています。

  
    次世代のため、持続可能な世界について一緒に考えませんか ?
 

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