老人介護(つづき)
前回は私の家内の母親で、103歳になるおばあさんの介護について少し触れました。おばあさんのことは家内と、「いずれ自分たちも同じことになるのだから」とよく話し合っています。そんなこともあってか家内も最近はほとんどイラつくこともなく、黙々とおばあさんの世話をしていて、傍から見ていても頭の下がる思いです。ただ、肝心のおばあさんが最近、「なかなかお迎えが来ない」とか、「施設に入った方が早く死ねるのでは」とか、巡回に来るお医者さんに「早く死ねるような薬をください」などとよく口にするようです。やはり一日テレビを見ているだけでは詰まらないのだろうと思います。私も何か暇を潰せる仕事がないかと、「野菜の種取りはできないか」、「新聞の切り抜きはできないか」、「ハガキの敷物が作れないか」などと家内に持ちかけるのですが、「目が見づらいから無理」とか「力が入らないから難しい」などとその都度却下される始末です。2~3年前に比べると視力、聴力、筋力などに相当衰えがきているようです。残念ながらいまできることといえば、テレビを見ること、食べること、寝ることだけで、そうなったとき人間は一体どうしたらよいのかと考え込んでしまいます。おばあさんは自尊心の強い人であるだけに、何もできないいまの状態に人一倍悔しい思いをされているであろうし、自尊心がズタズタになっているのではと思うからです。私の近所に、やはり母親の介護を6~7年やっておられるご夫婦がいます。そのお母さんの場合はずっとこん睡状態にあり、胃ろう(胃に開けた口)を通して栄養補給を行っておられます。ご夫婦ともに憔悴された顔を見ると、長年の介護でかなり疲れておられるように感じます。そのお母さんも昔は結構しっかりした方であっただけに、一体どんな気持ちで毎日毎日眠っておられるのだろう、良かれと思ってやっている処置が却ってお母さんの自尊心を傷つけ、「早く止めて楽にしてくれ」と思っておられるのではないかと、他人事ながらつい考えたりします。
長生きするには肉を食べるな? 食べろ?で述べましたが、日本人の平均寿命が顕著に伸び始めたのは、ほんの昭和(1926年)に入ってからのことです。それまでは腸チフスとか結核など細菌感染による死亡が多く、男女とも「45歳」がせいぜいの寿命であったのです。それがパスツールから始まる「病原菌退治」の近代医学の発達のお陰で、いまでは男女とも平均寿命が80歳を超えるまでになりました。他の先進諸国も状況は大体似たようなものだと云います。このことは私たちは50歳以上の生き方をあまりよく知らないとも云え、これからは「健康寿命」(日常生活が支障なく送れる寿命)をいかに平均寿命に近づけるか、つまり「ピンピンコロリ」が非常に重要な課題であると云えます。おばあさんにしても2~3年前までは、ハラハラすることはあってもガスを使って何とか自炊ができ、風呂にもトイレにも自分で入れたわけで、自尊心が傷つくことはなかったと思うからです。介護は単に家族に大きな負担をかけるだけでなく、本人にとっては尊厳を損なうことにもなるわけですから、健康寿命を意識して自重しながら余生を楽しみたいと考えています。
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