2014年12月25日木曜日

1年を振り返って

 先の選挙は自公の圧勝に終わりました。予想通りとはいえ、ほとんど何も変わらない選挙結果に、何のための選挙だったのかと複雑な思いを抱いたのは、私だけではないでしょう。私たち高齢者にすると年金は大きく減らされる、介護保険料はビックリするくらい増える、医療保険料、消費税、物価も上がるといった状況のなか、一体この先どうなるのだろうといった大きな不安があります。しかもあと10年もすると団塊世代が後期高齢者の仲間入りをすると聞くと、それを支える生産世代は大丈夫か、日本は沈没しないかと本当に心配になります。しかし自公も野党もその辺のロードマップ、対策を全く示さず、安倍首相も「この道しかない」とアベノミクスだけを強調し、「景気回復だ」、「賃金アップだ」と訴えましたが、年寄りばかりの社会ではかつての高度成長は望んでも無理です。国民の多くもアベノミクスに疑問、不安を感じても、ではどうしたらよいのかの回答(入れる政党)が見つからず、「分からん。飲も、飲もう!」と投票場に行かず、飲みに行ってしまったような気がします。
 ところでかつては定年退職を迎えた高齢者は、10年も余生を楽しめば皆亡くなったのです。しかしいまは20年以上も元気に生きるようになり、エンジョイするには余生が長すぎ、第2の人生として高齢者も社会貢献していくことを考えないと、国の経済が持たなくなってしまったのです。いま私の住む田舎で新しく建つ大きなビルといえば、老人ホームか介護施設です。無駄に建てているとは思いませんが、もっと高齢者が社会のために頑張れるような施設も作れないものかと考えたりします。私たちが進める「エコの環」は、生ごみの堆肥づくりから野菜の栽培、その販売、調理加工、いずれをとっても高齢者に大きな負担となるものはなく、むしろ非常に意義のある社会貢献策であり、こうした仕組みがこれからの社会には絶対に必要になると考えます。私たちが「エコの環」づくりを始めてから2年半が経ちます。まだまだ問題が多く試行錯誤を続けていますが、しかし今年の下半期から京都府と協働事業「ちーたび」を始めることができ、私たちの活動を広く知ってもらう足掛かりができました。また、宮津市とやはり下半期から「ピンと活き生き宮津ライフ」という活動で、高齢者の健康維持、事業の創出など、「エコの環」が目指す内容を具現化させる運動を始めることができました。これらは今年の大きな成果であったと考えています。
 私たちは天橋立の内海、阿蘇海の環境を取り戻すのが目的の団体です。しかし阿蘇海のへどろから多用性のあるゼオライトが作れたといっても、それだけでは需要は生まれません。そこで地元での大量消費を狙って、次にゼオライトを使った「生ごみの堆肥化」に挑戦しました。そして生ごみ堆肥のみによる野菜づくりに挑戦し、次にその野菜の販売に挑戦し、気が付けば人工ゼオライトの合成に成功してから、いまの「エコの環」という全く想像もしていなかったシステムにたどり着くまでに、10年という歳月が流れていました。この間、土壌微生物、作物の栽培、健康問題、高齢者問題などについてもいろいろ勉強し、いまでは「エコの環」は成し遂げるべき事業であると、自信を持って言えるようになりました。「エコの環」で高齢者が元気になり、現役世代・年少世代に負担をかけないよう頑張ることが、地域の健康づくり、阿蘇海の環境の自然修復につながっていくようなシステムを、一刻も早く作りたいと願っています。  -それではよいお年をお迎えください。-
おいしい野菜を食べて、美しい阿蘇海を!

2014年12月12日金曜日

アミノ酸(つづき)

 私たちの身体はご存じのように主にタンパク質から作られています。タンパク質は22種類のアミノ酸がさまざまに結合して作られますが、アミノ酸そのものはほとんどが体内で必要に応じて作られます。しかし体内で合成できないものが8種類あり、それらは必須アミノ酸として体外から補ってやる必要があります。ところでいまほとんどの加工食品に添加されている化学調味料(アミノ酸)ですが、これは必須アミノ酸ではありません。したがってあえて摂る必要はないのですが、「うま味」成分として、また、悪く言えば「依存症」にするために添加されます。一度、化学調味料の味に慣れると止められなくなるからです。ラーメン屋の前に行列ができたり、スナック菓子が止められないのも、依存症によるところが大きいのです。

加工食品の原材料表示
日本で開発されたこの化学調味料アミノ酸ですが、あるアンケート調査によると、化学調味料を使っている家庭とそうでない家庭を比較すると、前者の家庭の子供たちに「いつもイライラする」、「カーとなりやすい」などの傾向が強く見られるといいます。化学調味料には神経興奮毒性があるためで、脳や神経系に深く静かに影響を与える傾向があり、特に脳を保護する「脳関門」(脳に必要な物質以外は到達しないようにブロックする障壁)が十分に発達していない3歳未満の幼児では、脳に異常を起こす恐れがあると云います。アメリカでは「中華料理店症候群」といって、化学調味料を多用する中華料理レストランで、特に女性や酒の弱い人たちに料理を食べた数十分後に、後頭部や手足のしびれ、顔面の灼熱感、目まい、吐き気、動悸などを訴える人々が続出し、その安全性が疑問視されるようになりました。そしてその後の研究から化学調味料の過剰摂取に警告が出され、ベビーフードには使用禁止令が出されました。また、妊婦が化学調味料を多量摂取すると、母体のグルタミン酸が胎児に移行して死亡率が高くなったり、先天性奇形が発生しやすくなるともいわれ、老人や幼児でショック死を起こした例もあるといいますから、あまり気軽に摂取するべきものとは思われません。
 化学調味料を加熱した実験では「変異原性」といって、細胞に突然変異を起こさせる作用が現れ、特に油などと一緒に加熱するとそうした作用が一層強く現れるといいます。つまり肉に化学調味料入りのタレやソースを塗って焼いたり、化学調味料入りのものを油で炒めたり揚げたりすると、強い発がん性物質が生まれやすくなるというのです。化学調味料入りのスナック菓子には油で揚げたものが多く、だから子どもに多く与えることには注意が必要といえます。
 一方で化学調味料のグルタミン酸ナトリウムは、食塩と同じナトリウム成分を含んでいます。しかし塩辛さを感じさせないので、同時に醤油を使ったりすると知らぬ間に塩分の取り過ぎになるので、その点でも注意が必要です。いずれにしても私たちの身体の元となる料理は、化学調味料によるごまかしの味ではなく、本来の「出汁」を使った味を楽しみながら食べたいものです。


2014年12月3日水曜日

ちーたび(つづき)

 去る11月27日(木)に京都府との協同事業「ちーたび」の第一回目を実施しました。「美味しい野菜を食べて 美しい阿蘇海を! ~「エコの環」を歩く~」というイベント名のもと、ゼオライトを使った生ごみの堆肥化法、生ごみ堆肥で育てた野菜畑、そして阿蘇海を見学後、地産地消の店「すゞ菜」で「エコの環」野菜を使ったランチを食べるという内容です。12名の参加者募集には300枚のチラシをあちこちに置いたり、アースガーデンみやづ2014で配布したり、京都府、宮津市の広報、民間の情報紙などに広告をお願いしました。そして何とか12名(含京都府関係者2名)の参加者を集め実施できました。しかし参加者を見るとそうしたチラシ、広告によるものより、個人的な勧誘による人が多く、しかも舞鶴市、京丹後市など近隣市町からの参加者がほとんどで、肝心の宮津市からはわずか1名の参加でした。なかなか人集めが大変なことを思い知りました。

生ごみ処理の様子
当日は前日までの雨も上がり、日が差す絶好の陽気となりました。まず、集合場所の岩滝口駅近くにあるすゞ菜さんの堆肥小屋に案内し、阿蘇海のへどろから合成可能なゼオライトという粘土を発酵材に使う、私たち独自の生ごみ処理法(宮津方式)を紹介しました。生ごみ堆肥化に関心のある参加者が多く、多くの質問を受けながら熱心に説明を聞いてもらいました。
 次は生ごみ堆肥だけで野菜を育てている畑に案内し、栽培者から苦労話しを聞きました。この畑は生ごみ堆肥を使い始めてから2年ほどしか経っておらず、まだ土作りが十分に出来ているとは言えませんが、害虫対策の質問にネットで対策しているが被害は大きいという回答でした。土作りがもっと進めば害虫被害も治まってくると考えられます。この後は皆さんに大根の引き抜き体験をしてもらい、それを土産として持って歩いてもらいました。しかしそれが案外と重くて負担になったことから、急遽、軽トラで運ぶことになりました。

阿蘇海の環境問題を説明
次に近くの阿蘇海海岸に案内し、海を間近に見ながら阿蘇海の環境について説明をしました。ほんの30数年前まで金樽いわしの良い漁場であった海が、いまは水深8mの海の4m以深は無酸素・無生物状態に有り、漁獲量は貝類以外はほとんどゼロに等しく、また、遊泳は禁止され、渡り鳥も減っているという話しに、皆さん熱心に耳を傾けてくれました。
 この後はすゞ菜に向け約1.5kmをひたすら歩き、腹ごなしの運動をしてもらいました。そしてすゞ菜では16種類の「エコの環」野菜を使ったランチを食べながら、女将から食材・調味料にこだわった料理の説明を受けました。ランチは大好評で、皆さん営業日・営業時間を熱心に聞いておられました(営業:水~土曜日、11:30~14:00)。

「エコの環」野菜を使ったランチ
食後は13時からコーヒー・デザートを頂きながら交流会を行いました。まず、私たちの活動内容・目指すところをスライドで説明した後、多くの質問・提案を受けながら、なぜ美味しい野菜を食べると美しい阿蘇海が取り戻せるのか、環境・少子高齢社会・健康などの諸問題を絡めながら熱心に話し合いました。そして議論の尽きぬなか、予定の14:00を大分回ったところで散会としました。
 今回のちーたびで皆さんには、「エコの環」野菜の良さをよく理解して頂きましたが、「どこで買えるのか?」とズバリ問われても、野菜生産量に限りがある現状では、まだ所定の販売店、販売ルートが十分に確立されておらず、即答できないのが残念でした。
 次回は2015年の1月22日(木)に、天橋立のすばらしい眺望を眼下に収める「玄妙庵」で、「エコの環」野菜の料理を食べながら実施する予定です。参加費:6,000円、募集人員:20名です。ご参加をお待ちしています。





 

2014年11月18日火曜日

イベントへの初参加

 去る11月15、16日の連休に、宮津市にある「丹後海と星の見える丘公園」で「アースガーデンみやづ2014」が行われました。人と自然とのつながり、暮らしを見つめ直そうというイベントで、竹資源を考えるワークショップ、自然とのふれあい体験、地元食材を使った模擬店、音楽ライブ、トークショウなどが行われるなか、私たちが関わる「ピンと活き生き宮津ライフ」も出店することになりました。その趣旨は「いま日本も宮津市も超少子高齢社会を迎え、このままでは沈没しかねない。それを避けるには高齢者が次世代に負担を残さないよう、まずは元気であることに努め、できるだけ地域に貢献していく必要がある」というもので、私たちが生ごみ堆肥で作った「エコの環」野菜、その野菜を使った「ごった煮汁」(右上)、ご飯に野菜を混ぜ込んで焼いた「ご飯バーグ」(右下)、オカズにピンきらを始め「エコの環」野菜を使った幕の内弁当などを販売しました。どれもこのイベントに向け私たちが考えたオリジナルなものばかりで、味は砂糖を使わずに塩味だけにこだわりました。このイベントで私たちが訴えたかったのは、「エコの環」を高齢者ビジネスにして社会貢献すること、ビタミン・ミネラル豊富な「エコの環」野菜を多く食べ、生活習慣病始めあらゆる病気の元である「現代型栄養失調」(ビタミン・ミネラル・食物繊維不足)からの脱却で、パンフレットを用意して料理を買ってくれた人たちに配布しました。
 ところで私たちはこれまで、イベントというものには一切関わりを持たずにやってきたことから、イベントに向けては不安だらけで準備を進め、当日を迎えました。1日目は前夜の雨がまだ少し残る不安定な天候で寒く、足元も悪くて客足はサッパリでした。しかし2日目は天気も回復し、新聞報道によれば700人が集まったとのことで、ときにてんてこ舞いするほど多くのお客さんが買いに来てくれました。隣で売っている「たい焼き」や「たこ焼き」、「だんご」に比べると私たちの料理は馴染みが全くなく、最初は皆さんすぐには買わず不審そうに立ち止まって思案しておられましたが、いざ買って食べてくれると、「野菜の甘味が煮汁によく出ていた」、「香ばしくておいしかった」と多くの方から好意的な声をかけて頂き、何より嬉しかったことは誰ひとり食べ残しをせず、返してくれたお椀が全てきれいに空になっていたことです。そしてリピートで買ってくれる人が結構いたことです。こうした料理により「エコの環」野菜の良さが少しでも理解され、地域の健康づくりに役立ってくれたらと願っています。



2014年11月13日木曜日

ミネラル不足

 先日、テレビの朝番組で、20代、30代女性の77%が「日常生活でイライラを感じている」と報道していました。その日の昼のニュースでは児童への虐待が年々急増しているとして、関係者のデモ行進とシンポジウムの開催を紹介した後で、50代女性が閑静な住宅街で、何者かにナイフで切りつけられたという事件を報道していました。こうしたテレビ・新聞の報道に接すると、いまの世の中、何か全体が無性にイラついているように感じられます。
 マクガバン・レポートが1977年に発刊され、「ビタミン、ミネラルの不足が目立つ」と警鐘を鳴らして以来、アメリカではこれら2種類の微量栄養素に注目が集まるようになりました。つまりそれまでのカロリー中心の栄養学が大きく見直されるようになったのです。右図はアメリカにある12ヶ所の少年院で、8,000人の少年を対象に食事内容を変えた時の、トラブル発生回数の変化を調べた結果です。炭酸飲料水を生のフルーツジュースに、砂糖や添加物の多いデザートやスナックを果物・生野菜・チーズ・ナッツに換えただけで、ケンカ、脅迫、看守への反抗、自殺などが47%も減ったといいます。そして食事の中の何が少年たちの行動や心理を変えたのかを詳細に調べた結果、5つのビタミンと4つのミネラルが凶暴性に関係していることが分かったといいます。
 
 ところでビタミン(有機化合物)が欠けても、ミネラルがある程度までビタミンの役割を代行できるそうですが、逆にミネラルが欠けるとビタミンは吸収されることも、その機能を果たすこともできないといいます。また、私たちの身体の中では、常に約3,500以上もの化学反応が酵素の助けを借りて行われていますが、この化学反応に関わる酵素はアミノ酸とミネラルから作られています。つまりミネラルは人体の健康に最も直接的に関与していて、「全ての病気を追求していくとミネラル欠乏にいきつく」(ノーベル賞受賞学者、ライナス・ポーリング博士)そうです。そしてアメリカ議会でミネラル欠乏を議題にしたときの議会記録には、「アメリカ国民の99%がミネラル欠乏に陥っている」と書かれているそうです。なぜ現代人はこれほどまでにミネラル不足に陥っているのでしょうか。
 ミネラルとは地球大地を構成する約100種類近い元素の総称です。私たち動物は植物が大地から吸収したミネラルを食べて身体を作っているのであり、結局は大地のミネラル構成に近い組成で形作られていると考えられます。しかし最近の農業は化学肥料(窒素・りん酸・カリ)は大地に大量投入しますが、他のミネラル類を全く投入しないため、だんだん農地がやせ細ってミネラル不足になっているのだそうです。したがってそこに育つ野菜・穀類もミネラル不足になり、それを食べる私たちもミネラル不足、ミネラル・バランスを欠いた状態になっているのだそうです。つまり私たちの健康を守るには、まず土作りが肝要であるといえます。私たちが作る「エコの環」野菜はスーパーで販売されている野菜に比べ、ミネラル分が多いという結果がありますが、私たちの畑には生ごみからのミネラル分が投入され、また、ゼオライトが保有するミネラルも付加され、当然かなと考えています。

森山晃嗣;アメリカはなぜ「ガン」が減少したか、現代書林(2010)

2014年10月30日木曜日

認定NPO法人に認定される

 いま全国には46,000を超えるNPO法人があるそうです。私たちの法人もそうですが、ほとんどのNPO法人は財政上の問題を抱えていて、なかなか思うように活動できない状況にあります。そこで寄付を集めやすくして健全な活動の発展を促すため、平成23年に法改正が行われ、「認定NPO法人」への認定要件が緩和されました。認定NPO法人になると、その法人への寄付には税制上の優遇措置が与えられ、寄付金の半分近くが寄付者の所得税、地方税から還付されるため、寄付者は寄付がしやすくなり、法人は寄付が集めやすくなるというわけです。法改正により認定の所管もそれまでの国税庁から各所轄庁(都道府県、政令市)に変更されました。
 これまで私たちは寄付金を集めるのに、主に公益財団法人京都地域創造基金を通して行ってきました。寄付に対し、認定NPO法人同等の税制上の優遇措置が受けられるからです。しかしそうすると寄付のお願いに行くとき、私たちの活動だけでなく創造基金の説明もする必要があり、非常に面倒な思いをしなければなりませんでした。それに寄付を集めるのに創造基金は何の手助けもしてくれず、集めた寄付金だけが一部ピンはねされます。しかもこの制度を利用するのに毎年、膨大な申請書と報告書を提出する必要があり、これなら自分自身が認定NPO法人になった方が得なのではと考えるようになった次第です。
 認定NPO法人になるには当然大きなハードルがあります。その第一は経理に関するもので、「公認会計士もしくは監査法人の監査を受けていること、または青色申告法人と同等の帳簿書類を備え付けてこれに取引を記録し、当該帳簿書類を保存していること」が求められます。もちろん私たちのような小さな法人に監査を受ける余裕はありません。しかし帳簿書類については平成24年のNPO法の法改正で、会計書類の「収支計算書」が「活動計算書」に移行した際、散々苦労して帳簿書類のパソコン処理化を進め、それが京都府の府民力推進課から青色申告法人の帳簿書類に相当することを認めてもらった経緯があり、これが大きな力になりました。次に問題になるのがパブリック・サポート・テストで、広く市民の支援を受けているかどうかを寄付金の額で判定するものです。①寄付金の収入に占める割合が1/5以上か、②3,000円以上の寄付を年平均して100人以上から受けているか、③条例指定によるもので、年に25人以上から15万円以上の寄付を受けているかなどですが、幸い①をクリアすることが分かりました。次に問題となるのは法人として遵守すべきもろもろの基準です。しかしこれらについては平成24年に、一般財団法人社会的認証開発推進機構のステップ3への第三者認証を取得した際、いろいろ書類の整備を実施しており、その経験が大きな力になりました。
 認定NPO法人の認定申請書は京都府に提出していました(9/19)が、その実地調査が本庁から2名、丹後広域振興局から1名来訪され、実施されました(10/8)。経理書類に問題はないか、会計資料と申請書に整合性が取れているか、組織運営は定款通り実施されているかなどが詳細にチェックされましたが、特に大きな指摘事項もなく、無事審査をパスしたとの連絡を受けました(10/24)。認定書の手交は本庁で行われることになっています(11/6)。ただ、認定NPO法人になったからといって急に寄付が集まるわけでなく、今まで以上に寄付集めには苦労することになりそうです。


書類審査の様子



2014年10月14日火曜日

ちーたび

 京都府には諸団体が取り組む地域の活性化事業に対し、「地域力再生プロジェクト支援制度」というのがあります。私たちNPOでも2007年度にその支援を受け、それまで個人宅向けに生ごみ処理の普及活動を行っていたのを、大型処理機を使った隣組の生ごみの大量処理に挑戦し、いまの「エコの環」事業への基礎を築きました。この制度には自立を目指す活動に対し、ソーシャル・ビジネスプログラムという支援プログラムもあり、私たちNPOもこの10月からその支援を受けるべく、まだ交付決定前ではありますが「事前着手届」を出し、活動に取り組み始めたところです。
 この支援プログラムには京都府のソーシャル・ビジネスセンターと私たちが協同で進める、「ちーたび」という地域力ビジネスがあります。私たちの活動を小さな「旅」にして参加者を案内し、内容を多くの人に知ってもらい、活動の応援隊やファンを作ろうとするものです。最初、ソーシャル・ビジネスセンターの方からその話しを持ちかけられたときは、何のことかよく理解できず、これまでイベント的なことには一切関わりを持たずやってきた私たちには、こんなことがビジネスになり、自立の助けになるのかといった疑いと戸惑いがありました。しかし私たちが進める「エコの環」も、野菜の販売額を順調に伸ばし、昨年度は51万円の売り上げがあったとはいえ、経済的自立には少なくとも130万円ほどの売り上げが必要であるのに対し、現在のボランティアに頼る生ごみ処理だけでは堆肥生産量に限度が有り、これ以上売り上げを大きく伸ばすのは難しく、また、売り上げを伸ばすにも販路の開拓が必要といった悩みを抱え、自立に向けた打開策を模索しているときでした。そこで思いついたのが「ちーたび」で、参加者に「エコの環」野菜を使ったおいしい手作り料理を食べてもらうという企画でした。そうすれば「ちーたび」開催に向け交付金で堆肥と野菜の増産が図れ、また、生ごみ堆肥で育てた野菜、料理の美味しさを分かってもらえば販路の開拓にもつながり、自立への道が開けると考えられます。そこで11月にまず第1回目の「ちーたび」を実施することにしました。そのために作成したチラシが上図で、タイトルは「美味しい野菜を食べて 美しい阿蘇海を!」です。
 「ちーたび」の実施日時は11月27日(木)の10時~14時で、KTR(北近畿タンゴ鉄道)の岩滝口駅前に集合後、近くの生ごみ処理場で反転可能な木箱使い、ゼオライトで発酵・堆肥化を進める独自の「宮津方式」を見学してもらいます。その後1~2km離れたところで3人の高齢者が生ごみ堆肥のみで野菜の栽培をしている畑を見学し、そのとき野菜の収穫も経験してもらいます。そして近くの阿蘇海海岸に移動し、私たちが将来、そこに堆積するへどろで人工ゼオライトを合成し、それによってその環境を修復しようと考えている海(500ヘクタール)を見学してもらいます。その後また岩滝口駅近くに移動し、「すゞ菜」という地産地消の店で「エコの環」野菜を使った美味しいランチを、女将の小西さんから料理法の説明を受けながら食べて頂きます。食後はすゞ菜で私たちの活動内容をスライドを使って説明し、参加者全員で環境や健康について話し合いたいと考えています。参加費用は1人2,000円で、定員は12名、小雨決行です。奮っての参加をお待ちしています。お問い合わせはTel$Fax ;0772-46-4943(松森)、あるいはメールで次までお願いします。toyomi55@beige.ocn.ne.jp
   bluesea.aso@gmail.com
すゞ菜のやさい畑のごちそうランチ

2014年10月5日日曜日

アミノ酸

 前回、調味料のアミノ酸について少し触れました。いま私たちが買う食品には生鮮食品以外、ほとんどのものに食品添加物が入っていて、なかでも「調味料(アミノ酸)」とか「調味料(アミノ酸等)」は非常によく見かける化学物質です。これらは食品が持つ本来の味を活かすというより、化学物質により濃厚な味付けをする為に入っています。その方が生産者にとって生産コストが格段に安く抑えられ、しかも消費者を中毒にしてその商品のリピーターを作ることができるからです。中学生の時、放課後に学級行事で残っていると、担任で理科の先生が数種類の化学薬品を持ってきて、目の前で黄色いオレンジジュースを作ってくれたことがあります。薬品だけでおいしいジュースが作れることにビックりしたことを覚えていますが、いま販売されている加工食品、行列のできるレストランなどのほとんどでは、こうした化学薬品調合による味付けが行われているわけです。
化学調味料のそもそもは、1907年に池田菊苗が昆布のうまみはグルタミン酸であることを発見したことに始まります。私たちの舌には味蕾という味覚器があり、甘味、酸味、塩味、苦味などの味を感じ分けることができますが、グルタミン酸の発見以来、それらに第五の味として「旨味」が加わりました。化学調味料の生産・販売を始めた味の素㈱も、当初は昆布を煮出して結晶化させ、それを販売していたようですが、しかしそれでは40キログラムの昆布からわずか30グラム程度の調味料しか得られないため、グルタミン酸ナトリウムを工業的に大量生産する方式に切り替えたようです。グルタミン酸は20種類ほどあるアミノ酸の一種で、タンパク質を加水分解すれば簡単に作れるからです。実際に高校の理科の授業でも、タンパク質である髪の毛からアミノ酸を作る実験が行われたりしますが、中国では髪の毛から作ったアミノ酸を原料に、醤油の製造販売も行なわれているようです。また、グルタミン酸ナトリウムを石油から合成することも可能であり、味の素㈱でも石油からの合成も行なっていたようです。しかし工業的に生産を行う場合は何を原料にするか、どういった工程で生産するかが大きな問題になります。どんな製品も生産過程で不純物の混入は避けられず、不純物の毒性などをよく調べる必要があるのですが、不純物が微量になればなるほどそうしたことへの注意が、無視されがちになるからです。髪の毛といえば気分的にもよくありませんが、それ以上に髪の毛には体内に入った有害物質(水銀など)が排泄物として含まれており、アミノ酸の入った安い食品には特に注意が必要です。調味料(アミノ酸)と記載されている場合は、グルタミン酸ナトリウムだけが添加され、調味料(アミノ酸等)と記載されている場合は、核酸とかコハク酸などアミノ酸以外の旨み成分がさらに配合され、カツオ味とかシジミ味、ウニ味などが思いのままに作られます。こうした濃厚な味のもとでは塩味を出すのに、塩分もかなり高め入っているといいます。私の舌はかなり鈍感ですが家内の舌は敏感で、アミノ酸が入っていると「ウッ」と吐き出したりします。味がしつこくて飲み込めず後に残るのだそうです。化学調味料の有害性についてはいろいろ取りざたされており、なんとかこうしたものに頼らない暮らしができないものかと考えますが、それには時代に逆行して「不便を楽しむ」ような風潮でも広まらないと、なかなか難しいのかも知れません。

2014年9月22日月曜日

ピンきら

 先日義兄が、「これは老舗のお茶でおいしいぞ」と抹茶入りお茶をくれました。何気なく裏の表示を見ると、調味料として「アミノ酸」、「砂糖」などが入っています。「おいしい」といってもそれはお茶本来の味によるものではなく、添加物のアミノ酸や砂糖でごまかされた味であって、何でこんなものを老舗が発売するのかと不思議に思いました。しかし考えてみれば1年程前、阪急阪神ホテルズを始めとするほとんどの老舗ホテルが、赤肉に牛脂を注入した加工肉を「霜降り肉」と称して料理に使用し、大きな食材偽装問題になりました。そのとき加工肉には「アミノ酸」もうま味成分として添加されており、老舗ホテルで食事を楽しむような食通の人も、添加された牛脂やアミノ酸の味を「おいしい、おいしい」と味わっていたわけです。行列のできるラーメン店とか中華料理店では、味付けに決まってアミノ酸などの化学調味料を入れるそうです。天然の昆布や魚を使って得られる「だし」の旨みはグルタミン酸によるものと云われますが、だしを取るには手間暇がかかるため、いまではグルタミン酸ナトリウムを主成分とする化学調味料が、料理を始めあらゆる加工食品に「調味料(アミノ酸など)」という表示のもとに添加されています。現代人はそうした味に慣らされ、アミノ酸や砂糖の入ったものでないと物足りなさを感じるのでしょう。しかし塩や砂糖でもそうですが、そのエキスを得るために周りの不純物をドンドン取り除き純度を上げていくと、得られるものは自然品から化学物質に変化し、身体にとって有害性を帯びてきます。しかもその多くは麻薬性を有し、依存症を引き起こします。南米ではコカの葉をお茶として飲んでいるそうですが、それを精製するとコカインという麻薬になるのと同じです。自然の旨みでは中毒になりませんが、グルタミン酸ナトリウムでは依存症を引き起こすのです。だから店に行列ができるようになるのですが、しかしそれは味覚障害によるものなのです。化学調味料は人によって動悸や吐き気、めまいを引き起こすことがあるので、特に子供には極力、摂らせないようにすることが大切だと云います。
 ”ピンと活き生き”宮津ライフでは高齢者ビジネスとして、宮津独自の料理の開発を進めていこうと考えています。そしていまある自然食料理屋の奥さんに頼んで、身体を温める料理として「ピンきら」(「きんぴら」ですが、ピンと活き生きのピンを取り込んで命名)の開発に取り組んでいます。私としてはできるだけお袋の味となるように、素材の味を生かしたシンプルな調理をお願いしているのですが、自然食料理屋でさえ万人向けを考えると、どうしても甘みを少し加えたがる傾向にあります。一度アミノ酸とか砂糖とかの味に慣れ親しむと、その味覚を変えるのはなかなか難しいようです。
試食用のピンきら
ピンきら試食会
 













南雲吉則;空腹が「生き方」を教えてくれる、サンマーク出版、2013

2014年9月11日木曜日

老人介護(つづき)

 前回は私の家内の母親で、103歳になるおばあさんの介護について少し触れました。おばあさんのことは家内と、「いずれ自分たちも同じことになるのだから」とよく話し合っています。そんなこともあってか家内も最近はほとんどイラつくこともなく、黙々とおばあさんの世話をしていて、傍から見ていても頭の下がる思いです。ただ、肝心のおばあさんが最近、「なかなかお迎えが来ない」とか、「施設に入った方が早く死ねるのでは」とか、巡回に来るお医者さんに「早く死ねるような薬をください」などとよく口にするようです。やはり一日テレビを見ているだけでは詰まらないのだろうと思います。私も何か暇を潰せる仕事がないかと、「野菜の種取りはできないか」、「新聞の切り抜きはできないか」、「ハガキの敷物が作れないか」などと家内に持ちかけるのですが、「目が見づらいから無理」とか「力が入らないから難しい」などとその都度却下される始末です。2~3年前に比べると視力、聴力、筋力などに相当衰えがきているようです。残念ながらいまできることといえば、テレビを見ること、食べること、寝ることだけで、そうなったとき人間は一体どうしたらよいのかと考え込んでしまいます。おばあさんは自尊心の強い人であるだけに、何もできないいまの状態に人一倍悔しい思いをされているであろうし、自尊心がズタズタになっているのではと思うからです。私の近所に、やはり母親の介護を6~7年やっておられるご夫婦がいます。そのお母さんの場合はずっとこん睡状態にあり、胃ろう(胃に開けた口)を通して栄養補給を行っておられます。ご夫婦ともに憔悴された顔を見ると、長年の介護でかなり疲れておられるように感じます。そのお母さんも昔は結構しっかりした方であっただけに、一体どんな気持ちで毎日毎日眠っておられるのだろう、良かれと思ってやっている処置が却ってお母さんの自尊心を傷つけ、「早く止めて楽にしてくれ」と思っておられるのではないかと、他人事ながらつい考えたりします。
 
長生きするには肉を食べるな? 食べろ?で述べましたが、日本人の平均寿命が顕著に伸び始めたのは、ほんの昭和(1926年)に入ってからのことです。それまでは腸チフスとか結核など細菌感染による死亡が多く、男女とも「45歳」がせいぜいの寿命であったのです。それがパスツールから始まる「病原菌退治」の近代医学の発達のお陰で、いまでは男女とも平均寿命が80歳を超えるまでになりました。他の先進諸国も状況は大体似たようなものだと云います。このことは私たちは50歳以上の生き方をあまりよく知らないとも云え、これからは「健康寿命」(日常生活が支障なく送れる寿命)をいかに平均寿命に近づけるか、つまり「ピンピンコロリ」が非常に重要な課題であると云えます。おばあさんにしても2~3年前までは、ハラハラすることはあってもガスを使って何とか自炊ができ、風呂にもトイレにも自分で入れたわけで、自尊心が傷つくことはなかったと思うからです。介護は単に家族に大きな負担をかけるだけでなく、本人にとっては尊厳を損なうことにもなるわけですから、健康寿命を意識して自重しながら余生を楽しみたいと考えています。

2014年8月30日土曜日

ガン対策

 日本ではガンは一生のうちに2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する病気で、1981年以降、死因のトップになっているそうです。2010年に新たにガンにかかった人は推計で80万人を超え、記録が残る1975年の約4倍にもなる急増ぶりだそうです。それにも拘らず国民の関心は低く、正しく理解されていないといった背景から、文部科学省はガン教育のモデル事業を全国の70の小中高校で始めるそうです。京都府では国に先駆け昨年度から「生命のガン教育」事業を始めていて、医師とガンの経験者が講師として学校を訪問し、医師がガンの基本知識を解説し、経験者が闘病を通しての生きる大切さを語る授業を、昨年度は20の小中高校で実施したそうです。生活習慣の大切さを子供のときから教えることは極めて重要であり、非常に前向きな取り組みではないかと思います。
 ところで先日テレビで、「BNCT(ホウ素中性子補足療法)」というガンの放射線治療についてやっていました。従来の放射線治療ではガンの周りの正常な細胞まで破壊してしまうのに対し、BNCTはガン細胞だけを破壊できる画期的なもので、日本が開発した世界最先端の技術ということでした。しかし手術は巨大な原子炉の中に患者一人を入れて行うため費用が巨額になり、そこで新たにサイクロトロンを使ったコンパクトな装置を開発し、それを近々、原発事故の被災地である福島に設置して、放射能の全く違った利用技術として世界に情報発信していくとのことでした。ガン治療については抗がん剤でも、ガン細胞だけを狙い撃ちできる「分子標的薬」なるものが開発されているそうです。ただ、こちらは患者の遺伝子タイプによって効力が違ったり、安全性、耐性、副作用などにまだ課題が多く残されているようです。また、ガンの早期発見については、1回の採血で13種類のガンを見つける検査技術の開発が、NEDOと国立ガン研究センターにより約79億円の巨費を投じて始まるそうです。上図を見て分かるように日本ではガン患者は増える一方で、だから何とかしなければというので巨額の研究費を投じ、新たな治療法の開発を進めようとする努力はよく分かります。しかしガンになってから、つまりガンが目視できるほどの大きさになってから治療したのでは、まして人間が行う治療では完治を期待するのは無理であり、医療費だけが膨らんでいくことになりかねません。
 私たちの身体は約60兆個の細胞で作られています。各細胞にはミトコンドリアと云う小器官があり、そこでエネルギーを作っていますが、メタボで内臓脂肪が異常に増えたり、過剰なストレスにさらされたり、酸素の取り込みが不十分であったり、身体を冷やしたりするとミトコンドリアの活動が不活発になり、それが細胞にガン化のきっかけを与えることになると云います。一方でミトコンドリアには細胞に異状が発生したり、それが他の細胞や器官に悪影響を及ぼしそうな場合、アポトーシスといってその細胞を自滅させる機能があると云います。また、身体を温めると免疫機能が高まり、NK細胞によるガン細胞への攻撃力も増すと云います。つまり私たちの身体には食事を腹八分に抑えたり、野菜を多く食べたり、運動をしたり、お風呂で体を温めたりしてミトコンドリアを元気にしたり、免疫システムを活発にするような生活習慣を心がけていれば、ガンがまだ細胞レベルの大きさのときに、確実にガンをやっつける機能が備わっており、進行ガンでも回復できると云います。正しい生活習慣を心がける予防医学にこそ、お金を投入すべきではないかと思います。
 ところでアメリカでは自分の遺伝子を調べ、将来ガンになりそうだと分かったら健康な内に乳房や卵巣を切除するガン対策が行われていて、女優のアンジェリーナ・ジョリー(ブラッド・ピットの奥さん)が乳房の予防切除を行ったことから、日本でも広く知られるようになり、遺伝子検査を受ける人が増えつつあると云います。しかし私たちの寿命を決めるのは遺伝的要素が30%で、残りの70%は環境因子、つまり生活習慣だと云います。たとえ遺伝的にガンを発症しやすい素因があっても、その体質にあった正しい生活習慣さえ励行していれば病気の予防だけでなく、却ってそうした素因が寿命の延長に有利に働くのだと云います。いずれにしても私たちの身体は遺伝子ですべてが決まるほど単純ではなく、まだまだ知られていない未知の分野が多いのであり、健康な内から身体の一部を取り除くようなガン対策は、あまりにも拙速な過剰防衛であり、神に対する冒涜行為だと思います。

大谷  肇  ;長生きしたければミトコンドリアの声を聞け、風詠社、2013
斉藤真嗣;体温を上げると健康になる、サンマーク出版、2009





2014年8月20日水曜日

認知症

 テレビで認知症で行方不明になっている人が1万数千人もいると云っていました。認知症の人は勝手に徘徊するため、チョッと目を離したすきに忽然と居なくなってしまうのだそうです。事故にあったり他人に迷惑をかけていないかと、家族の心労は相当なものだと云っていました。いま日本には認知症と云われる人が800万人もいるそうです。この数は鎌倉時代の日本の総人口に相当し、その数の大きさを思い知らされます。私もいま73歳。年齢的にはいつ認知症になってもおかしくない年代にあり、とても他人ごとには思えません。認知症には糖尿病などの生活習慣病の関わりも大きいようですが、やはり生きがいを持って積極的に頭を使うことが大切なのではないでしょうか。
先日テレビで「少年H」という映画がありました。丁度文庫本で読んでいたところであり、早速見てみました。少年Hのオヤジさんは洋服屋をやっていたのですが、太平洋戦争が始まると商売がやりづらくなり、消防士になります。しかし空襲で神戸市が焼き野原となり、すべてをなくしてしまうと、それまで何かと少年Hの心の支えであったオヤジさんが、すっかり魂の抜けた状態になってしまいます。しかし少年Hとお母さんが火事のとき必死に運び出したミシンを焼け跡に見つけ、掘り出し、修理し、動くようにして服が作れるとすっかり元気を回復し、また、少年Hも親元を離れる決心をするという実話に基づくストーリーでした。オヤジさんが元気を取り戻すシーンには、人間にとり「人のために働く」ということが、いかに大きな力、生きがいになるかのメッセージが込められているように思いました。
 ところで日本でテレビが普及し始めたころ、大宅壮一という評論家が「一億総白痴化」とテレビ文明を憂えていました。本とか新聞、ラジオのように、話しを読んだり聞いたりするときには、私たちはその情景をいろいろ空想したり、連想したりします。しかしテレビはそうした情景もすべて提供するため、見る者は頭を使う必要が無くなり、頭の使い方も非常に受動的になって、人間が馬鹿になってしまうのではと心配されての言葉だったと思います。いまの認知症の多さがすべてテレビ文明のセイだとは思いませんが、ただ先日、お盆で帰省していた長男家族と車で出かけたとき、「カーナビ」で起きたチョットした出来事に、「便利になりすぎる」ことは私たちから身体能力、五感をドンドン奪って、その分私たちは無能化していくのではないかと、改めて大宅壮一の言葉を思い出した次第です。
 当日は長男の車で豊岡市の「玄武洞」に出かけました。出かける前に長男が「げんぶどう」と打ち込むといくつものメニューが現れ、「どれかナー」と探しているので、「これだろう」と一つのメニューを押して出かけました。当然長男は「カーナビ」を見ながら運転し、私は見慣れた景色を見ながら横に乗っていました。豊岡市内に入ると玄武洞への標識が目に付き始めましたが、その内にその標識の距離とカーナビの距離が違うことに気が付きました。「変だナー」と思いながら乗っていると「玄武堂」というお菓子屋さんに着きました。メニューの選択間違いがとんだ笑い話になったのですが、そのとき頭を使うか使わないかの大きな差のようなものを感じました。わが家の車にはカーナビはなく、わが家ではどこへ行くにも10年ほど前に買ったロードマップを携えて出かけます。出かける前に大よその道順、場所を頭に入れ、現場に近づくと家内がロードマップを見ながら案内します。10年も経つと道が地図とはすっかり違っていたり、また、家内が方向音痴のためときどき方向指示を間違えたりします。しかしその点私は晴れの日でも曇りの日でも、太陽の位置から東西南北のどちらに向かっているかの勘に優れ、大体これまで目的地にはほとんど一発で到着できています。これをわが家では「家内ナビ」とか「勘ナビ」と呼んでいます。ときどき「喧嘩ナビ」にもなりますが、これの良いところは目的地へ向かうのに常に標識を探したり、方向や周囲の雰囲気に勘を働かせたり、記憶を呼び起こしたり、常に頭をフル回転させることです。だから数年前に初めて走った道でもよく覚えていて、「アレ! この道前に走ったことあるナー」、「確かこの先に郵便局があったのでは」と云っていると本当に郵便局が現れるのです。カーナビではこういった体験はあまりないのではと思います。
 宮津市でこの8月から取り組み始めた「”ピンと活き生き”宮津ライフ」は、生活習慣病や認知症の予防をかなり意識していますが、高齢者が常に地域社会のことを考え、行動することは、よい生きがいとなり、また頭を使うことになり、認知症の予防につながるのではと期待しています。

2014年8月7日木曜日

老人介護

 先日テレビで老人介護の問題を扱ったドラマをやっていました。「早くお迎えに来てほしい」、「早く死にたい」という老人たちが急死したことに疑問を感じた新聞記者が、老人たちの診察をしていた医者を疑うが、犯人は介護問題に熱心な別人だったと云うストーリーです。私たちは老人を前に「長生きしてネ」とか「いつまでもお元気で」という言葉を簡単に口にします。これが幼い孫とか無縁の若者から発せられる言葉だったらともかく、その老人に関わる縁者の言葉となると、介護に疲れ切った者や老人自身にとって、ビミョウな問題であることを伝える内容でした。
 いまから20年ほど前、隣組の集まりで今は亡きある人が、「都会にいる者は年に一回か二回土産を持って帰ってくればよいが、田舎で親と暮らす者はそんな訳にはいかない」と云っておられました。当時は何のことかよく理解できずにいましたが、いまわが家も家内の母親で近くに独居する103歳のおばあさんを抱え、ことの大変さをやっと理解できるようになりました。
 おばあさんは屋内でコケたり、圧迫骨折で10年以上前から歩行が困難な状態にありました。そんなことから家内は毎日手助けに通っていましたが、2年程前にまたコケ、ほとんど歩けなくなってしまいました(要介護2)。しかし自分でなんとか長椅子に移動したり、着替えをしたり、自分で食事を食べたり、ポータブルトイレで用を足すことはできます。まだまだ健啖でボケもなく、テレビを独り楽しんで見ています。歩けないとはいえ寝たきりや認知症に比べればずい分助かっています。ただお風呂だけは慣れない力仕事になるので、週3回ヘルパーさんに面倒をみてもらっています。このように書くと第三者には介護にあまり手がかからず、気楽に長寿を楽しんでいる百寿者のように映ります。しかしそれを支える家内にとっては、三度の食事の仕度から掃除、洗濯、買い物、屋敷周りの清掃、その他もろもろの些事など、わが家と2軒分の仕事を毎日こなすわけですから大変です。しかも毎日顔を突き合わせれば何かと軋轢も生じます。例えばおばあさんにすれば娘にあまり面倒を賭けたくない、まして第三者の世話にはなりたくないとの強い思いから、自分でできることは自分でやり、お風呂もヘルパーの力を借りず自分で入ろうとします。その気持ちは十分に分かるのですが、しかし家内にすれば歩けない身でひっくり返って大けがをされたら困るし、実際にこれまでも何度もコケて身動きが取れなくなっているので、自分がするからジッとしていてくれとつい口論になってしまうのです。そしてつのるイライラからつい当り散らしたり、あるいは「自分は悪い人間なのだろうか」と涙を流したりすることになります。私も家内の一生懸命な姿、疲れた切った様子を毎日見ているだけに、「よくやってるヨ。悪いことないヨ」と慰め、なだめることに神経をピリピリさせることになります。ただ残念かなこうした苦労は都会で離れて暮らす兄弟にはなかなか伝わりません。「いつも世話をかけて申し訳ない」と口では云っても、そうしたことを経験してないと想像力が働かないのです。だからたまに帰って来て、「元気やないか、高齢者の新記録を作ったらどうや」とか、「栄養のあるものを食べているか」など、こちらの苦労を知ってか知らずかの「ノー天気」な言葉を聞くと、それがまた家内をイラつかせることになるのです。こうしたことは隣近所の介護老人を抱える家ではどこも似たり寄ったりの様で、苦しい胸の内を吐露されることもしばしばです。確かに親にすれば「まだまだ自分はしっかりしている」という気持ちがどうしてもあると思います。しかし子の世話にならないと何もできない状況に陥ったら、そのときはそれがたとえ屈辱的でありつらいことであっても、それを素直に受け入れ、赤子のようにすべてを子にゆだねる覚悟も必要なのではないか、それが「老いては子に従え」という言葉ではないかと家内と話し合ったりしています。
テレビニュースによると日本女性の「平均寿命」は世界一で、男性の平均寿命も初めて80歳を超えたそうです。しかし日常生活が支障なく送れる「健康寿命」となるとどちらも10歳ほど若くなり、10年間ほどは介護や入院が必要であることが分かります。これが本人、介護者はもとより、国にとってどれほどの負担であるかを考えると、平均寿命を単純に喜んでばかりもおられません。私たち高齢者自身がもっと積極的に「ピンピンコロリ」を目指すべき時代になったと考えられます。宮津市ではこの8月から65歳以上の高齢者を対象に、「”ピンと活き生き”宮津ライフ」という運動を始めました。食生活や運動に関心を持ってもらうと同時に、高齢者の技能・知識・チエを使って「少エネ」、「少資源」な生活を見つけ、明るい町づくりを進めようとするもので、高齢者に生きがいを与え、健康寿命を延ばそうとする試みです。私たちの「エコの環」も活動内容に含まれています。


2014年7月27日日曜日

フィトケミカル

 中学生のころ家庭科の授業で、「五大栄養素」について勉強しました。炭水化物と脂肪はエネルギー源に、タンパク質は身体を作る材料に、また、ビタミン、ミネラルは少量で身体の調子を整え、潤滑油のような働きをすると勉強したように覚えています。そして試験で「ほうれん草」の栄養素を問われ、当時ポパイの漫画が流行っていて、筋肉隆々のポパイが何か難題に直面すると必ずほうれん草を食べていたことから、「タンパク質」と解答したこと、ビタミンを最初に発見したのは日本人の鈴木梅太郎だったが、世界に知られるのが遅れ第一発見者になれなかったという話しに、悔しい思いをしたことなどが懐かしく思い出されます。「食物繊維」についても勉強し、女の先生が「サツマイモなどに多く含まれ腸の運動を活発にします。だからサツマイモを食べるとオナラがよく出ます」と、恥ずかしそうに教えてくれたのを覚えています。ただ当時は食物繊維に栄養素と云う認識はなく、単に大腸の運動を促して便秘を防ぐ物質という程度の捉え方でした。しかしその後この食物繊維に血中コレステロールや血糖値を正常に保ち、心筋梗塞、糖尿病、脂質異常症、動脈硬化など、生活習慣病の予防に効果のあることが認められるようになり、いまでは「第6の栄養素」と呼ばれる様になっています。
 ところで最近、第7の栄養素として「フィトケミカル」という物質が注目されるようになってきました。いつまでも若々しく、美しく生きたいというアンチエイジングの研究と共に発見されるようになったのですが、フィトケミカルのフィト(phyto)はギリシャ語の「植物」で「植物由来の化学成分」を意味しますが、「植物性生理活性物質」とも呼ばれたりしています。食物繊維と同様に5大栄養素とは異なり、これを摂らないと特有の欠乏症を起こして最終的に死に至るといった、「生命の元」となるような栄養素ではありませんが、健康増進とか病気予防に極めて有効と云われ、カテキン、ポリフェノールなどがよく知られています。植物は動物と違って自分の好きなところへ移動することができず、過酷で変化の激しい環境でも生きていかねばなりません。だから動物とは違った自己防衛力を授かっていると云われます。つまり強い紫外線や風雨に耐え、細菌や害虫、あるいは動物から身を守るためには、「抗酸化力」、「抗菌力」の他に、色素や香り、アク、渋み、苦みなどで身を守る必要があるのです。そうした防御物質は1万種はあると云われ、今現在1,000種類ほどが確認されているそうです。中でもその抗酸化作用は老化や万病の元と云われる「活性酸素」を除去するのに有効で、アンチエイジングやガンなど生活習慣病の予防に大きな効果が期待されています。私たちは酸素を吸って生活しているので、放っておくと鉄が錆びるように酸化して朽ち果てる運命にあります。ミトコンドリアが活性酸素を発生し、他にも紫外線や食品添加物、タバコ、油分の多い食品などが活性酸素を発生させて身体を体内から虫食むからです。だから生命を維持するためには活性酸素を還元してやる必要があり、フィトケミカルがその重要な役割りを担っているのです。
 野菜の優れた点は、各種のビタミン、ミネラルの他に食物繊維、フィトケミカルを豊富に含んでいることで、それを十分に食べると体内の代謝を活性化し、タンパク質など他の栄養素の吸収も良くなり、免疫力が高まってガンなどの病気予防だけでなく、いつまでも若く、美しく生きる身体づくりができるのです。ただしそうした栄養素は皮の部分に多く含まれると云われ、だからよく洗って丸ごと食べるのが理想的です。私たちが生ごみ堆肥の露地栽培で、無化学肥料・無農薬・無畜糞堆肥にこだわった野菜づくりを進めているのも、健康な野菜を丸ごと食べてほしいからです。なお、和食は糖質のご飯を中心に、タンパク質中心の主菜、野菜中心の副菜、それに味噌汁と云う献立で、5大栄養素の他に食物繊維やフィトケミカルがバランスよく摂れるようにできています。和食が世界で注目されるようになった理由が理解できます。

中村丁次;けんこう325、NPO全日本健康自然食品協会

2014年7月14日月曜日

ミトコンドリア(つづき)

 生物の進化の過程で最初にできた多細胞生物は、ヒドラやイソギンチャクなど「腸」だけからなる腔腸動物だったそうです。その腸の周りにはニューロンと呼ばれる神経系の組織が作られ、腸が「脳」の役割りも果たしていたと云います。その後動物はこの腔腸動物から「昆虫」と「哺乳類」の2系統に分かれて進化し、「心臓」や「脳」は後から進化してできた器官なのだそうです。だから人間が生まれるときも最初に作られるのは腸で、順次その周りに他の組織が形成されると云います。死ぬときも「脳死」では死なず、腸の死をもって脳の働きも完全停止します。人間の腸には大脳に匹敵するほどの数の神経細胞が張り巡らされ、例えば食中毒菌などの入った食べ物も、脳では判断できなくても腸が安全かどうかを判断し、おう吐や下痢などを引き起こして危険な物質を排泄し、身を守ってくれます。腸は一般に消化だけが目的の器官と考えられがちですが、実は私たちが生きるのに必要なビタミン類を合成したり、ガンを始め外敵から身を守る免疫システムを作ったり、脳に歓喜や快楽を伝えるセロトニン、気持ちを奮い立たせヤル気起こすドーパミンなども合成すると云います。つまり腸はもっとも賢い重要な臓器と考えられ、最近テレビ・新聞でやたらと腸に対する薬や食品の宣伝が目につきますが、その役割りを考えれば当然のことかも知れません。
 ところで腸には500種類以上の細菌が100兆個以上も生息し、前述の腸の役割りに大きく加担していると云います。その重さは大腸内のものだけでも2kgほどあるそうです。それらはふつう善玉菌と悪玉菌に区分けし、善玉菌の多い方が良いように云いますが、実は両者のバランスが重要なのだそうです。赤ちゃんが生まれてくるとき腸内は無菌状態にあり、何でも舐めたがるのは一度腸内を悪玉菌の大腸菌だらけにして免疫力をつけるためなのだそうです。だから「ばっちい、ばっちい」と消毒したお皿で無菌の食べ物ばかりを与えるのはよくなく、アトピー性皮膚炎で悩んでいる赤ちゃんの実に40%には、便のなかに大腸菌が全く見つからなかったと云います。子どもを強くたくましく育てようとしたら、良いことだけの無菌状態で育てるのでなく、世の中には悪い人、悪いことがいっぱいあることもきちんと教えることが大切なように、腸内にも善玉菌・悪玉菌がバランスよくたくさんあることが重要なわけです。ただ、私たちは極度に心理的、肉体的なストレスにさらされると腸内に活性酸素が発生し、善玉と云われる菌が減り悪玉と云われる菌が増えて両者のバランスが崩れ、それが原因で免疫力が低下したり、幸せや活力を感じさせるセロトニンやドーパミンが合成されなくなって体調不良になることから、悪玉と云われる菌を悪く云うわけです。この自然界では何事も拮抗することが重要で、善玉だけでも悪玉だけでもよくなく、両者が競り合う環境が大切なのです。
私たちが必要とするエネルギーは通常、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の二つのエンジンによって作られます。しかし腸の細胞はエネルギーの原料として「糖」を利用せず、小腸は「グルタミン酸」を、大腸は「脂肪酸」を原料にミトコンドリアエンジンを使ってエネルギーを作ると云います。大腸にいる膨大な数の腸内細菌が食物繊維を発酵して脂肪酸を作るからで、身体にとって野菜を始め食物繊維の多い食品が必要とされるのはこうした理由によるそうです。しかしミトコンドリアエンジンにはエネルギー代謝時に、「フリーラジカル」という活性酸素を発生する弱点があることは前回述べたとおりです。この活性酸素は良い働きもするのですが、細胞内のあらゆる物質と見境なく反応してしまう欠点があり、それが原因で腸は消化機能や免疫機能の低下を引き起こします。こうした活性酸素による腸の機能低下は、食品添加物や残留農薬の多い食品を食べたり、排気ガスやタバコの煙、電化製品からの電磁波、紫外線などによっても引き起こされると云います。しかしこれに有効なのが最近注目されるようになった、野菜や果物に含まれるフィトケミカルという抗酸化物質(ポリフェノールとかカテキンなど)です。これらにはこの活性酸素を消す力があるからで、腸が野菜や果物を必要とするのにはこうした理由もあるのです。「5 a Day」運動で野菜や果物を多く摂取することは、実は腸にとってとても大切なことであるのです。だから腸内細菌のバランスをよく保つには、腸内細菌のエサである食物繊維を多く含んだ野菜、豆類、海藻類、無精白穀類を食事の中心に据え、それに良質な細菌をいっぱい含んだ納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品を添えることがとても大切と云えます。そして化学調味料や添加物を多く含む加工食品などは極力避けることです。その上で極度なストレスのかかる生活習慣を改め、リラックスすることに心がけることが大切と云えます。
 最近、サプリメントによる栄養補給のコマーシャルが非常に目につきます。しかしある栄養素だけがそのまま素直に効くほど身体は単純ではなく、逆に身体にとっては「偏食」となり、高濃度の抽出成分による弊害さえ考えられます。拮抗作用がないからです。やはり栄養素は食事からよく噛んで摂るべきで、それにより食べ物の多くの成分が助け合ったり拮抗して、複合的に私たちの健康に寄与することをよく理解すべきだと思います。

藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)

 

2014年7月5日土曜日

ミトコンドリア

 「人間は食べ物をエネルギーにして生きている」と、食べ物と人間のエネルギー代謝の概念を最初に築いたのは、現代化学の基礎を築いたフランスのラボアジェだそうです(18世紀後半)。その少し前に「養生訓」を著した貝原益軒(18世紀初期)も、食べ物が働く力の源であることは分かっていたのでしょうが、ただエネルギーと云う概念を持っていたかどうかとなると、やはりラボアジェに軍配を上げざるを得ないかも知れません。その後ドイツを中心にエネルギーの源を探る研究が始まり、炭水化物、脂質、タンパク質の三大栄養素が発見されたと云います。
 ところでこの地球上にまだ酸素がなかったころ、生物進化の初期に出現したのは「原核生物」と呼ばれる嫌気性微生物で、そのとき微生物が使ったエネルギーは糖を原料に、酸素を使わない「解糖」という化学反応によるものでした。しかしシアノバクテリアの出現で大気中に酸素が増えてくると原核生物は生きづらくなり、酸素が好きな「α-プロテオ細菌」との共生を図り、約8億年という長い時間をかけてその細菌を自らの細胞内に取り込み、その進化の結果として生まれてきたのが、いま地球上に住む私たち脊椎動物を始め植物などの「真核生物」だと云われます。私たちの身体の細胞の中に「ミトコンドリア」という小器官がありますが、それが共生のために取り込んだ細菌の名残だと云われます(私も高校時代に大嫌いな生物で勉強し、名前だけは覚えていました)。
私たちの身体にはエネルギーを作り出すのに、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の2つのエンジンがあることを糖質制限食で触れました。解糖系はブドウ糖1分子を原料に、酸素を使わずに「ATP」というエネルギー源を2分子作ります。このときピルビン酸という物質も2分子作製され、このピルビン酸がミトコンドリア内部に運ばれると、そこで酸素を使ってさらに36分子のATPが作られます。つまり私たちの細胞内では原核生物の名残である細胞質で解糖系のエネルギー代謝が起き、続いて酸素が好きな細菌の名残のミトコンドリアで代謝が起きるのですが、生産されるエネルギーの量は酸素を使うミトコンドリア系が圧倒的に多く、生産効率が非常に良いと云えます。しかしその生成速度は解糖系によるものが圧倒的に速く、白筋(速筋)と呼ばれる瞬発力を必要とする筋肉(100m走やジャンプなど無酸素運動向きのもの)や細胞分裂の盛んな皮膚の細胞では、主に解糖系によるエネルギーが使われ、それらの細胞にはミトコンドリアの数も少ないと云われます。一方、赤筋(遅筋)と呼ばれる持久力を必要とする筋肉(水泳やジョギングなど有酸素運動向きのもの)や臓器などの一般の細胞では、ミトコンドリアで作られるエネルギーが主に使用され、細胞内のミトコンドリアの数も数百から数千と非常に多く、そこではブドウ糖の他に脂肪酸が代謝に利用されます。ただしミトコンドリアエンジンには弱点があり、エネルギーを作り出すときに電子のリーク(漏電)が起き、「フリーラジカル」という活性酸素が発生すると云います。
 子供時代は成長(細胞分裂)と瞬発力が主体で生きているためよく食べ、主に解糖系で生きていますが、大人になるにつれ段々と二つの系は調和し、中高年以降になると瞬発力より持久力が求められるようになり、エネルギーの生成は解糖系からミトコンドリア系にシフトします。だから食べる量は少なくてもよくなり、食べすぎるとかえって余った糖が脂肪に変わり、メタボになると云われます。細胞の成因から解糖系は酸素が嫌い、低温が好き、盛んに分裂増殖するというご先祖細胞(原核細胞)の性質をもち、逆にミトコンドリア系は酸素が好き、高温が好き、分裂を抑え活性酸素を発生するという性質をもち、私たちはこの全く異質な二つの生命体のバランスの上に生きているのだそうです。だから身体を酷使したり、過剰にストレスをかけると交感神経の緊張から血管収縮が強まり、血流が悪くなって低体温と低酸素を招き、解糖系が盛んになって脳梗塞や心筋梗塞、また糖尿病などメタボ関連の疾患が起きやすくなります。しかもこうした状態はミトコンドリアには不利なため分裂抑制遺伝子が機能を停止し、分裂促進遺伝子(ガン遺伝子)が活性化しやすくなります。つまりガン細胞にとってはフリーラジカルによる攻撃の恐れがなく、低温・低酸素で糖の多い解糖エンジン優位の方が増殖しやすいのです。したがってガンを治すには、ガン細胞の中で仮死状態に陥っているミトコンドリアを元気にさせることが重要で、そのためには副交感神経を優位にするような、リラックスして血流を良くしたり、適度な運動や温泉・風呂に入って身体を温めたり、深呼吸をして低体温と低酸素から脱却して免疫力を高めることが大切なのだそうです。そうすればミトコンドリアの分裂抑制機能が復活し、進行ガンでも回復に向かうと云います。
 特にミトコンドリア系主体で生きるお年寄りにとっては、ミトコンドリアが一番多い赤筋と脳神経が衰えて使えなくなると、寝たきり老人、認知症老人になると云いますから、適度な有酸素運動で筋肉量の減少を抑えたり(基礎代謝の維持)、いろんなことに好奇心を持ち、脳を使い続けることが非常に大切であると云えます。その意味である程度肉を食べることも重要なのかも知れません。
藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)
安保徹;”けんこう326”、NPO全日本健康自然食品協会


2014年6月19日木曜日

長生きするには肉を食べるな? 食べろ?

 最近、風呂の鏡で胸のあばら骨が目立つようになり、ガクゼンとしています。10年以上毎朝ストレッチをしていて、その際に腕立て伏せを100回ほどしているのですが、最近はそれもあまり効果がないのか、腕の筋肉も何となく張りがなくたるんだ感じになってきています。タニタの体重計でも、かつてはBMI値(体重kg/身長m/身長m)がチョイ太の23~24あったのが最近は21に近く、また体脂肪率も10を切る有様で、「人生も終わりに近づくと脂肪組織が細って痩せていく」と云いますが、いかんともしがたい加齢に悲哀を感じています。
 ところでわが家はこれまで、どちらかといえば菜食主義というか「伝統的和食」風の食事を主とし、肉食をあまりしてきませんでした。桜沢如一が世界に広めた「マクロビオティック」(玄米菜食)の考え方に賛同し、その流れを汲む人たちの、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(若杉友子)的考え方が正しいと信じてきたからです。しかし糖質制限食という全く逆の考え方があることにショックを受け、また自身の身体の変化から、「肉を食べる人は長生きする」(柴田博)という本を買って読んでみました。するとさまざまな地域で百寿者(100歳以上の高齢者)の調査を行った結果、いずれの地域でも長寿者は若い世代の人たちより肉を多く食べていて、その結果、脳卒中の減少、認知症・うつ・寝たきりの予防に役立っていると云うのです。私たちの身体に最も大切な栄養素であるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできていて、多くは体内で合成されますが9種類は合成できず、「必須アミノ酸」として食べ物から摂る必要があります。この時「アミノ酸スコア」といって、その値が100に近いものほど必須アミノ酸のバランスがよいという指標があり、それによると牛乳・卵・肉・魚は100、大豆は86、玄米は68、精白米は65、小麦粉は44で、肉は人間の身体のアミノ酸構成に近く食べたときに無駄がないため、余分なアミノ酸の処理に臓器を酷使する必要がなく、身体の負担が減ってよいのだと云います。この考え方は対象がアミノ酸で糖質とは違いますが、結果的には糖質制限食に近い考え方となり、玄米菜食とは程遠いものと云えます。
 この本を読むうちに「長生き」ってなんだということになり、インターネットで1891年(明治24年)以降の平均寿命の変化を調べてみました(右図)。すると平均寿命が顕著に伸び始めるのはなんと昭和に入ってから(~1926年)のことで、それまでは男女とも「45歳」がせいぜいで、「50歳」を超えるのは戦後初の国勢調査が行われた1947年(昭和22年)以降であることが分かりました。戦後の一時、「戦死」の要素が無くなり大きな上昇がみられますが、1950年代半ばからは上昇傾向が緩やかになり、その流れのまま今日に至っていると云えます。つまりグラフを見る限り日本の伝統的和食が長寿につながっていたとは考えにくく、一方、日本人の食生活が大きく変わったのは東京オリンピック後の1965年と云われ、これを境にコメの摂取量が減り、代わって肉類と牛乳の摂取量が増えたと云われますが、しかしこれもグラフを見る限りその影響を読み取ることはできません。むしろ日本の医療費の急増が始まったのはこのころからです。平均寿命には案外、レジャー、スポーツ、自由などと云った「平和的要素」が大きいのかもしれません。
 ところで以前、こんな話しを聞いたことがあります。明治政府の招へいで日本に30年間滞在し、ドイツ医学を伝授したベルツ氏があるとき二人の人力車夫を雇い、三週間毎日、40キロを走らせたそうです。車夫の食事は米、麦、粟、ジャガイモなどの低タンパク、低脂肪の粗食だったので、氏はドイツ栄養学を運用すべく肉を食べさせたそうです。すると結果は二人とも疲労がはなはだしく募り、走破が不能になったと云います。そこで食事をもとの粗食に戻したところ、元通りに走れるようになったと云います。続いて氏は馬車と人力車とどちらが速いか、東京から日光までの100余キロで競わせたそうです。結果は馬車は馬を6回取り替えて14時間、人力車は一人で14時間半だったそうです。車体の重量差を考慮する必要がありますが、当時の車夫は馬並みの馬力を持っていて、ベルツ氏は一見「粗食」に見える日本食の威力に脱帽したと云います。
 ところで先ほど触れたアミノ酸スコアによると大豆も精白米も100に届かず、数値的には肉より劣ることになります。しかし両者はお互いに相手の不足するアミノ酸を補完する関係にあり、大豆(大豆食品)と精白米(ごはん)を一緒に食べるとスコア的には100を満たすことになるそうです。ということは、肉をご飯と一緒に食べるとかえってアミノ酸に過不足が生じ、それが「肉は食べるな」という結果につながっているのかも知れません。

2014年6月10日火曜日

生産年齢人口 (つづき)

 日本の少子高齢化問題は、私たちが考えている以上に国をむしばみ、活力を奪っているようです。なかでも「日本創生会議」が試算し公表した「消滅可能性都市」は、きわめてショッキングな数字と云えます。いま全国には1,800の自治体があるそうですが、その半分の896自治体で「若年女性」(20~39歳の子供の出産可能な女性)の人口が、2040年までに2010年に比べ50%以上減ってしまうと云う試算です。若年女性が減ると云うことは子供が生まれないわけですから、人口の減少に輪をかけることになり、医療・介護など社会保障の維持はもちろん雇用の確保も難しくなり、都市が消滅しかねないというのです。半減する自治体には県庁所在地の青森市や秋田市、また観光地の函館市までが含まれるというからオドロキです。私が住む宮津市も人口減少が止まらず、いまは2万人を切っている状態にあり他人ごとではありません。
 一人の女性が生涯に産むと見込まれる子供の数を、「合計特殊出生率」と云うそうです。これが「2.07」なら人口が維持できるのに対し、2013年はそれが1.43で2005年に過去最低値(1.26)に達した以降は微増が続いているものの、人口を維持できる水準にはほど遠く、政府もやっと「骨太の方針」に50年たっても人口1億人を維持するという目標を盛り込み、2020年をめどに少子高齢化の流れを変えることを明確にするようです。そして来年度の予算案づくりから、高齢者向けが多い社会保障予算の見直しにも取り組むようなので、高齢者にとっては段々と厳しい状況に追い込まれることになりそうです。
先日テレビで年金問題をやっていて、学生と高齢者に意見を聞いていました。学生たちが遠慮がちに「高齢者の方が恵まれている」と述べているのに対し、マージャンに興じている高齢者たちが、「決して自分たちは恵まれていない。いまの給付額に見合う以上の年金は収めてきた。いまの若者は情けない」と述べているのが気にかかりました。いくら納付されたかは知りませんが、通常であれば給付額は納付額をはるかに上回るはずであり、それに7~8人で1人の高齢者を支えていた時代と、2~3人で支えねばならない今とでは条件が全く違うからです。厚生労働省が5年に1度行う公的年金の財政検証によると、女性や高齢者が働きに出て高成長が続いたとしても、給付水準を少しづつ下げ30年後には今より2割ほど低くしないと、政府が約束する現役世代の収入の50%以上が守れないと云います。ただ、この「高成長ケース」も前提が大甘であるとの指摘があり、今回用意された「低成長ケース」の場合にはいずれも給付水準50%を切り、最悪の場合は35~37%ほどになると云うから深刻です。私たち高齢者もそろそろ真剣に甘えを捨て、自助・共助で今の社会を支えていく気構えを持たないと、子供・孫にツケを残すどころか、自分たちの生活自体が立ちいかないことになりかねません。
 日本の高齢者の年齢階級別人口1人当たりの医療費は、下図のようになるそうです*。これによると高齢者の医療費は年齢とともに上昇しますが、しかし死亡前にかかる医療費(終末医療費)は極めて高く、それも若年齢階級ほど高く、高年齢階級になるにつれそれが低くなることから、長生きするほど苦しまずに終末期を迎えられることが分かるのだそうです。つまり長生きする人ほど「ピンピンころり」になる確立が高いのだそうです。
 宮津市では昨年、地元企業、諸団体、住民参加による「みやづ環の地域づくり推進ネットワーク」が起ち上げられ、私たち「ブルーシー阿蘇」は「Eライフスタイル推進部会」に所属し、高齢者の力を活用した「エコの環」の推進を提案してきました。議論を重ねるにつれ高齢者問題がとても重要であることが認識され、いまは高齢者が率先して社会貢献すべき仕組みを作ろうと議論しています。高齢者の積極的な社会奉仕は地域の利益になるだけでなく、高齢者自身にとっても大きな生きがいとなり、「ネンネンころり」にならない歯止めになると考えられるからです。

高齢者の生存者と死亡者の年齢階級別人口1人当たりの医療費(1998)
 
 * 柴田 博;”肉を食べる人は長生きする”、PHP研究所(2013)



2014年5月28日水曜日

一週間の戦い

 家内が一週間も家を空けることが起きました。先週の月曜日、急遽病気見舞いに出かけることになり、水曜日に帰ってくる予定で出かけたのが結局土曜日になってしまったのです。これまでも遊びや何かで家内が家を空けることはときどきあったのですが、空けても2~3日どまりで、そのときはその間の私の食事を全部用意して出かけるのが家内の習いでした。これは決して私が「亭主関白」だからと云うことではなく、長い習慣として私自身が台所に立ったことが全くなく、「台所のことは任せられない」という家内の強い思いによるもので、ただ今回は準備の時間がほとんど無かったため、「カレーでいい」と云ってカレーだけを多めに作ってもらいました。
 こんなことで水曜日の昼までは何とか無事に過ごしていたのですが、家内から突然「帰りを土曜日にしたい」と急な連絡が入り、そこから私の苦しい戦いが始まりました。経験のない食事作りもさることながら、実は前日、一日中庭の草取りをしていたのですが、結構身体に負担を感じながらも少し無理をしたのが悪かったのか、朝起きると寝違えたように首から右肩にかけ激痛が走り、全く首が回らなくなっていたのです。ふだん肩こりなどしたことがなく、貼るシップ薬もないままパソコンに向かっていると痛みは増すばかりで、そうこうする内に夕食の準備にかからねばならなくなりました。冷蔵庫といってもビールの置き場所しか知らない身にとって、家内から「冷凍庫にナニ」、「冷蔵庫のどこにナニとナニ」と云われても、「省エネ」意識からか長時間扉を開けておられないのと、首が全く回らないのも手伝ってなかなかナニを見つけることができません。散々苦労してやっとジャガイモ、にんじん、キャベツ、豚肉、ホタテを見つけ、これらをフライパンで炒め醤油で適当に味付けしたのですが、蓋をかけて料理したせいか野菜からの水でちょうど「すきやき」風の炒めものができ上がりました。次にご飯を普段の土鍋ではなく小さな炊飯器で炊こうとしたのですが、お米の量と水の割合が分かりません。家内は「お米2カップに水2カップ」というのですが、それを守るとわが家の小さな炊飯器が溢れそうになります。こんなところで技術屋の厳密な計量に対する家内のいい加減さに腹を立ててもどうしようもなく、やむなく水を減らして「ままよ」とスイッチを入れました。幸いご飯は蓋を持ち上げんばかりに膨らんだものの焦げもなく、なんとかその晩は結構おいしいスキヤキごはんを食べることができました。
 翌朝になっても痛みは引かず、一日ゆっくりしようと午前も午後もゴロゴロ寝て過ごしたのですが、これがよくなかったようで、電話が鳴っても人が訪ねてきても急に起き上がることさえ難しくなってしまいました。その内にまた夕食時になり、しかし肉は前日に使い切ってなく、ホタテも半分冷蔵庫に残しておいたのがいくら探しても見つからず、たまたま見つけた冷凍シャケで昨日同様にスキヤキ風炒めを作り、それと家内から味噌のあり場所と溶かし方を教わり、ジャガイモとキノコ、豆腐で味噌汁を作りました。そしてその晩も肩の痛みと戦いながら、何とか食事を済ますことができました。
 しかし翌朝も痛みは一向に引かず、これは血のめぐりが悪いからだろうと風呂を沸かし、ゆっくり肩、首まで浸かってたっぷり汗をかきました。しかしこれが却って悪かったのか、今度は微熱が出て気分まで悪くなってしまいました。こんな様子を知った家内から、家内に代わっておばあさん(103歳)の面倒を見に帰っていた義兄に連絡が行き、彼が普段使っているシップ薬を持って駆け付けてくれました。「マッサージに連れて行ってやる」と云ってくれたのですが、気分的にまったく動く気になれず、「シップ薬で様子をみてみる」と云って一日椅子に座って本を読んだり、テレビを見たりしてジッとしていました。しかしこれがまた身体を固まらせるというかコリを進めた感じで、まさに肩で息をする状態になってしまいました。そうこうする内に水道のお湯が出ないことに気が付きました。わが家は夜間電力でお湯を沸かしているのですが、不思議に思ってコントロール盤を見ると、エラーメッセージが点灯しています。取説を見ながらコントロール盤を操作してもエラーメッセージは消えず、何故だろうと風呂場を見ると上がり湯の蛇口が開けっ放しで、水が勢いよく出ています。多分5~6時間そんな状態だったろうと思われますが、肩の痛みでそんなことにも注意が届かなくなっている自分が、まったく情けなくなる思いでした。その晩も何とか「お米1カップと水1カップ」でご飯を炊き、あとは豆腐、納豆、焼き海苔などを見つけ、それで食事を済ませましたが、肩の痛みはひどくなるばかりで、その夜は右を向いては「ギャー」、左を向いては「ギャー」と一晩中痛みに苦しめられました。
 翌朝は目が覚めても激痛のため起き上がることもできず、まるで裏返しにされたカメ同然に、手足をバタバタさせながら天井を見ているだけの状態で、やむなく一日中ジッと寝て、家内の帰ってくるのをひたすら待ちました。不思議なもので家内が帰ってくると幾分痛みも和らぎ、その夜は前日よりは少し楽に寝ることができました。
 翌日(日曜日)家内から「緊急診療所へ行ったら」と勧められたのですが、少し楽になったことから結局行かず、月曜日の夕方になってやっと外科に行く決心をしました。そして飲み薬とシップ薬を処方されたのですが、お陰で翌朝(火曜日)になると痛みがすっかり無くなっているのにビックリしました。なぜ一週間近くも痛みと戦っていたのか不思議に思えて仕方ありませんでした。ただ、今回の出来事は共に高齢で支え合って生きていくには、男も台所に立つ必要があることを切実に教えてくれ、「週に1回は料理作りを手伝う」ことを家内と話し合ったところです。



 

2014年5月14日水曜日

食糧問題

 
 昨日は全国的に夏日、真夏日となったところが非常に多く、急激な温度変化に体調を崩す人も大勢いたようで、5月というのに熱中症の対策をテレビが訴えています。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の第1作業部会報告書(2013年9月)によると、温室効果ガスの排出をいまのまま放置した「成りゆきのシナリオ」の場合、世界の平均気温は今世紀末に最大で4.8℃上昇すると云います。昨年の日本の夏は、四万十市を始め最高気温を更新する観測点がアチコチに続出する猛暑でしたが、それでも平均気温でみると、平年よりわずか1℃ほど高かったにすぎないと云われ、それを考えると4.8℃という数値のスゴサと、その計り知れない影響が心配されます。しかもいったん気温が上昇すると、たとえその後に温室効果ガスの排出量をゼロにしても、気温は思うように下がらないと云うから厄介です。

昨夏の猛暑
国際社会が目指すべき選択肢の一つに、産業革命前に比べ気温の上昇を2℃以内に抑える「2℃シナリオ」があります。しかしこれを実現するには、温室効果ガスの排出量を今世紀末までにゼロにする必要があると云われ、人口大国の中国、インドなど新興国の排出量の急増を考えると、その実現には相当厳しいものがあると云えます。
 次に横浜市で公表された第2作業部会の報告書(2014年3月)によると、「成りゆきのシナリオ」では海面の上昇は81cmにもなり、今世紀末までにアジアを中心に移住を余儀なくされる人数は、数億人に及ぶと見積もられ、地球温暖化の影響はすでにすべての大陸・海洋の水資源・食糧生産・自然生態系にハッキリ表れていて、水産物は生息域が大きく変わると同時に世界的な減少が見込まれ、農業では小麦・トウモロコシなどの主要穀物に収穫量の減少傾向が表れていると云います。一方で人口増のため食糧の需要は増えるため、4℃以上の大きな気温上昇を許すと、世界の食糧安全保障に大きな影響を与え、武力衝突の危険性も高まり、「2℃シナリオ」なら適応策も立てられるが、4℃以上になると限界を迎えると述べているそうです。
 そして第3作業部会の報告書(2014年4月)では、深刻な影響を避けるには2050年までに温室効果ガスの排出量を、2010年比で40~70%と大幅に削減する必要があると述べていて、現在の地球の温室効果ガスの平均濃度は約400ppmであるが、今世紀末の濃度が450ppmであればまだ「2℃シナリオ」実現の可能性はあるものの、ここ10年間の排出量の増加が特に大きいため、このままでは2030年に450ppmを通過してしまう可能性があり、それまでにそれなりの対策を取らないと将来の対策の選択肢が限られてしまう、つまりここ10~20年が勝負になると訴えているそうです。IPCCの報告書に従えば、「成りゆきのシナリオ」か「2℃シナリオ」か、私たちはいま人類の存亡をもかける非常に厳しい岐路に立たされていることになります。
 いま日本は食糧の6割以上を海外からの輸入に頼っています。しかしIPCCの報告書は日本の現状は国家安全保障上極めて危うく、これからは自らの食糧は自ら賄うことが自衛隊を持つ以上の意味をもってくることを教えています。高齢者が「エコの環」に取り組み、地域のために食糧の生産、確保に励むことは、これから非常に重要になってくると考えられます。




2014年5月6日火曜日

生産年齢人口

 総務省の発表によると昨年10月時点の日本の総人口は、定住外国人を含めて1億2,730万人で、その内65歳以上の高齢者が初めて25%を超えたと云います。一方で生産年齢(15~64歳)の人口は8,000万人を割り込んで62.1%となり、しかも15歳未満の子供は33年連続の減少で12.8%となり、高齢者の約半数と云います。

この人口構成、特に生産年齢人口の減少は極めて深刻な問題で、全国的に飲食店では人手不足による休業が相次ぎ、製造業の現場でも折角の注文に生産が追い付かなかったり、建設業界では東日本大震災被災地の復興事業や大型ビル・店舗の建築にも影響が出ていて、東京オリンピックにも影響の及ぶことが心配されています。一見、高度成長期のころの人手不足に似た状況ですが、成長ラッシュに沸いた時代とは全く違う環境下での人手不足だけに、その影響が心配されます。しかも高齢者が増えると云うことは介護問題が発生することでもあり、それがまた生産世代の足を引っ張っているようです。新聞報道によると働きながら家族の介護をしている人はいま291万人もいて、しかも介護のため離職する人が年に10万人に達し、このままいくと10年後には30万人を超える可能性さえあると云います。人手不足と云い介護問題と云い、人口構成の変化が経済活動に重大な影響を及ぼしつつあるのです。
 一方、生産世代の減少は社会保障制度(年金・医療・介護)にも深刻な影響を及ぼしつつあります。そのためこの4月には消費税が8%に引き上げられました。しかも高齢者は医療費の窓口負担を1割から2割に引き上げられ(70~74歳)、年金の支給額も減らされました。一方で現役世代も保険料の負担増を強いられました。しかしこれでも社会保障制度の維持には全くの「焼け石に水」で、来年の10月には消費税をさらに10%に引き上げることが検討されています。しかしそれでも制度維持にはさらなる負担増が必要だと云われています。それほど日本の人口問題は深刻であり、待ったなしの状況にあるわけです。

高齢者を支える生産世代
生産世代の増加にはもはや女性と外国人に頼るしか方法は無いかも知れません。しかし一方で高齢者にも生産世代に負担をかけない生き方が求められていると思います。一つは自らも生産活動に加わって経済成長に協力することであり、いま一つは健康管理・維持に努め、医療・介護費の負担軽減に努めることだと思います。その意味で私たちが進める「エコの環」は、高齢者にとって健康的で負担も軽く、非常によい葉っぱビジネスになると考えています。生ごみを燃やせばキロ当たり24円の経費(宮津市の場合)が掛かりますが、野菜にすれば240円の価値が生まれるのです。しかも6次産業化への展開を図ればさらに価値を増大でき、高齢者にとって非常によい社会貢献策になると信じています。



2014年4月26日土曜日

糖質制限食(つづき)

 「食生活と欧米型現代病との関係」を最初に明らかにしたのは、世界85ヶ国の食事のパターンを三種燃料(脂質、糖質、タンパク質)の混合比率で分析し、「脂質の比率が高くなりすぎると、心臓・血管障害・ガンなどの疾患が増加する」ことを指摘したぺリセらの研究(1969)と云われ、いまからほんの45年ほど前のことです。その後アメリカでも医療費の膨張に業を煮やしたフォード大統領の命令で国家的大調査が実施され、世界中の国々の食生活と病気・健康との関係が、地域別・人種別・宗教別などに細かく分類して徹底的に調査されました。このとき証人喚問に応じた各国の医師・生物学者・栄養学者などの数は3,000人を越えたと云います。2年の歳月を掛け作成された5,000頁にも及ぶマクガバンレポート(1977)は、現代病(心臓病・脳卒中・ガンなど)は食生活が原因の「食源病」であると結論し、「薬による治療」ではなく身体が持つ「治癒能力」を高める栄養学を重視すべきこと、またぺリセらの図の最上段からかなりダウンした食事のパターンを勧告しました。そして「世界で一か所だけ理想的食生活の国がある」として日本食を勧め、それが日本食ブームに火を付けました。その後もアメリカでは「ガン予防と食生活」(1982)、(1992)、「ガン予防15ヶ条」(1997)など食生活重視の対策が進められ、それが野菜を多く食べる「5 a Day」運動(1991)につながり、その効果は生活習慣病の予防などにハッキリ現れていると云います。一方、マクガバンレポートがほめた日本人の食生活は、東京オリンピックのころまではまだ経済力に比して脂肪の比率が小さく、ぺリセらの図の一番下の最貧国並みのパターンに一致し、医療費は1兆円に届かないレベルにあったのですが、その後の高度成長による経済的豊かさの増大は、わずか30年の間に食事のパターンを図の一番下から一番上まで一気に駆け上らせてしまい、いまや日本の医療費は40兆円に達する破たん寸前の状態で、消費税アップの原因になっています。
 ところで日本の食事には昔から「一汁一菜」という言葉があります。一汁の「汁」は味噌汁、一菜の「菜」は煮物、和え物などの野菜・魚介料理で、ご飯を主食に味噌汁と野菜・魚介料理、漬け物くらいの食生活が古くから続けられてきました。一般的に生活が貧しかったこともあり、そうした質素な食生活が伝統的和食として受け継がれてきたのです。そうした中で明治時代の、まだ栄養学というものが学問として確立していないころに、石塚左玄(1851~1909)という医師が「食養」という言葉で「食事で病気を予防し、治療する」ことを提唱しました。これを受け継いでさらに発展させ、マクロビオティックという「食養療法」を世界に広めたのが桜沢如一(ゆきかず)(1893~1966)です。日本で100年以上も前にこうした栄養学が芽生えたことは大きな驚きであり、誇るべきことでもあります。
 この「食養」の基本的考え方は、
 食本主義;健康の基本は食にあり、病気の原因も食にある。
 人類穀物動物論;人間は穀物を主食とするようにできている。
 身土不二;その土地の環境にあった食事を摂ることで、心身も環境に調和する。
 陰陽調和;陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが大切。崩れると病気になる。
 一物全体;一つの食品(野菜・魚など)を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
の「食養五原則」と云われます*。「陰陽」というと少しうさん臭い気もしますが、東洋に古くからある哲学であり、陰陽の分類さえ正しければ考え方として間違ってはいないと思います。彼らの玄米菜食主義には批判的な意見もありますが、伝統的和食、またぺリセやマクガバン達の考え方とも基本的に異なるものではなく、私自身は「和風のじみ飯」を食べることで、そうした考え方を基本的に受け入れてきました。
 ところが前回紹介した「糖質制限食」はその考え方が全く違うのです。ぺリセらの図の横軸からその大半を占める「糖質」を完全に抜いてしまうのですから、ビックリ仰天もいいところです。著者の夏井氏は、人類はアフリカに現れた500万年前からずっと狩猟採集により肉食をメインに雑食をしてきており、穀類(糖質)を食べるようになったのはほんの1.2万年前からに過ぎず、消化管の構造はむしろ肉食動物に類似していて、草食動物のそれとはまったく違うと云います。また、狩猟採集時代の方が農耕時代より長生きをしており、しかも幼児の死亡率は穀物栽培後の方が上昇していて、人類は根本的に肉食に向いていると主張されます。しかし前述の食養五原則の「人類穀物動物論」はこれと真っ向対立するもので、人間が有する32本の歯の内の20本(63%)は穀物を食べるための臼歯、8本(25%)は野菜・果物・海藻を食べるための門歯であり、肉・魚介類をかみ切る犬歯はわずか4本(13%)に過ぎず、人類は本来肉食に向いていないと云います。こうなるともう一体どちらを信じてよいのか分からなくなりますが、いずれにしてもこれだけ科学が発達した現代でも、食べ物に関してはまだ「何が良くて何が悪いか」が十分に解明されておらず、混乱状態にあるのが実情と云えます。ただ、糖質制限食についても不調を訴える意見もありますし、私自身も体験するなかで、「肉はいくら食べても大丈夫」と云っても肉は血(塩分)の塊であり、減塩が叫ばれるなか問題は生じないのか、「油類はいくら摂取しても大丈夫」と云ってもぺリセ、マクガバンらの云う現代病につながらないのか、と云った不安があり、まだ簡単には結論付けられない問題のように感じました。

* 若杉友子;「これを食べれば医者はいらない」、祥伝社(2013)

2014年4月13日日曜日

宗教裁判

 小保方さんが先日開いた、理研の調査報告に対する不服申し立ての記者会見には、正直云ってがっかりさせられました。不服を申し立てるからには何かそれなりの反証が出てくるものと期待していたからです。不正や悪意はないと云うのなら、なぜ正しい写真なり証拠を出して具体的な説明をしないのでしょう。ノートも他にあるのならなぜそれを見せないのでしょう。また第三者で実験に成功している人が他にいるのなら、なぜ事前に了解をもらってその人の名前を公表しないのでしょう。これでは不服申し立ての会見の意味がなく、何回謝られようと、何回「スタップ細胞はあります」と云おうと、信じることは難しいと云わざるを得ません。
一方、理研の方も、論文に疑惑が浮上したころは「論文成果そのものはゆるがない」と云ったり、「作り方にノウハウがある」とその一部を公表したりしていたにも拘らず、山梨大の若山教授が論文の撤回を呼びかけたころから態度が豹変し、論文の撤回に傾いたり、小保方さん単独の「不正行為」、「ねつ造」と断罪したり、「STAP細胞」そっちのけで事件の収拾を図ろうとする行為には、ガリレオが「地動説」を唱えたとき、中世の教会が「異端か、異端でないか」を裁いた宗教裁判を思わせるものがあります。小保方さんの論文を否定しても、STAP細胞そのものが完全に否定されないかぎり、その存在についてはっきり白黒つけるのが本筋ではないでしょうか。幸い理研も1年かけて再現実験をすると云っているので期待したいのですが、ただ小保方さんを実験から外すと云っています。ここがまたよく分からないところで、なぜ彼女を外すのでしょう。一緒にやれば彼女も名誉回復とばかりに真剣に再現実験に協力するでしょう。問題はSTAP細胞にハッキリ決着をつけることであって、そこには少しの疑念が残ってもまずいのであって、小保方さんを外してもし上手く再現できなかったら、どう結論付けるのでしょう。
 小保方さんの博士論文と云い、ネイチャーへの投稿論文と云い、ずい分無責任でずさんであることは否めません。ただ彼女がどんなことからSTAP現象に着目するようになったかは知りませんが、何か全く新しい現象に関心を示し、あるいは新規な発想を抱いてそれに果敢にチャレンジする人には、やはり常人とは何か違う特別な才能がある可能性があり、温かく見守ってやることも大切なのではないでしょうか。ガリレオも若いころ「光に速度があるのでは」と考えたとき、助手を向こうの山の山頂に立たせ、自分はこちらの山の山頂に立ち、共に手に持つランプに覆いを被せ、最初にガリレオが覆いを取り、そのランプの光を助手が認めたら次に助手がランプの覆いを取ると決めて、ガリレオが覆いを取ってから助手のランプの光を認めるまでの時間を計り、光速を求めたと云います。いまなら小学生でもこんな実験は無意味だと考えやらないでしょう。しかし光に速度があるのではと感じることもさることながら、方法はともかくそれを測定しようとするチャレンジ精神というか勇気には、やはり賞賛に値するものが十分にあると思います。
 あの孔子も自分の生涯を振り返り、
 「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳に順い、七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず」
と年齢を重ねるにしたがって自己が完成されていく過程を述べています。小保方さんはまだやっと30歳で、孔子にしてやっと自分の足で立てるようになったばかりのころです。人間的に未熟であっても当然です。折角のリケジョの希望の星を、安易につぶしてしまわないことを祈っています。
 

2014年4月8日火曜日

糖質制限食

 「エコの環」づくりに取り組み始めてから、野菜の味見をする機会が増えました。そのせいか昨年当たりからハッキリ変わったと感じるのが、ウンコ(失礼)の質です。それまでの軟便かコロコロタイプから薄茶色のバナナタイプに変わり、紙が要らなくなったのです。また、オナラ(これまた失礼)がほとんど臭わなくなったのです。そして毎年いま頃は目が充血し、くしゃみが激しく、話しをするときに咳が出て困っていたのが、昨年当たりからそうした症状がすっかり消えてしまったのです。そんな体験もあって、いま当地で進めている「みやづ環の地域づくり」では、「エコの環」を中心に野菜の地産地消に取り組むことにしたのですが、どうせならそれで日本一の「長寿市」、「ピンピンころり市」を目指そうと提案しています。そしてテレビの調理番組などで砂糖がよく使用されるがそれは身体に良くないこと、「エコの環」野菜は甘くておいしく調理に砂糖が不要なこと、野菜(カリウムが豊富)を多く食べれば自ずと減塩が進むので、「減糖」だけを主眼にした食育をまず進めようと提案しています。しかし砂糖に慣れきったメンバーからは、「我が家には砂糖がない」と説明しても信じてもらえず、どう納得させるか思案していたとき、新聞広告で「炭水化物が人類を滅ぼす」(夏井睦、光文社新書)という本が目に留まり、早速購入して読んでみました。
内容は医師である著者が「糖尿病」と診断され、かねて聞いていた「糖質制限食」に挑戦したところ、不治の病とされる糖尿病がすっかり治ってしまったことから、大胆な仮説を展開しながら糖質制限の勧めを説いたものです。私も「糖質ダイエット」が女性の間で話題になっていることは知っていましたが、私自身の考え方とずいぶん異なることから、いささか疑問視していたのですが、この本の説得力には引き込まれるものがあり、実際に挑戦してその効果を試してみました。
 まず「糖質制限食」の内容ですが、血糖値を上げるものはとにかく摂らないという考え方です。つまり炭水化物(でんぷん質の米、うどん、パン、そばなど)、砂糖、根菜類の野菜(糖質の多いイモ、にんじん、レンコンなど)、果物、菓子・ジュース、醸造酒(日本酒、ビールなど)は避け、代わりに肉・魚・卵、大豆製品(豆腐、納豆、枝豆など)、葉物野菜、乳製品、油類(マヨネーズ、バターなど)、揚げ物(フライ、から揚げなど)、蒸留酒(焼酎、ウィスキー、ウォッカなど)はどれだけ摂っても構わないというものです。一方、私がこれまで摂ってきた食事は日本食のいわゆる「じみ飯」で、五分づきのご飯、味噌汁、野菜の煮物、納豆、魚(小魚)料理、海苔、漬け物、あるいはうどん・そばと云ったもので、肉とか卵、乳製品、脂っこいものは意識的に避けてきたことから、糖質制限食とはまさに対極の関係にあると云えます。
 実験は最初の2日ほどは夕食のご飯だけを抜くことから出発し、順次昼も夜も麺類やごはん、根菜類を抜いていきました。因みにそれまで朝食はリンゴ半個、サツマイモ半切れだったのですが、それもゆで卵1個とチーズに置き替えました。すると4~5日してから猛烈な腹痛に襲われ大量の下痢便をしたのですが、わが家の体重計(タニタ製)による測定では、体重;61kg→58.5kg、BMI;22→21、体脂肪率;10%→9%、内臓脂肪;8→5.5と明らかに身体に減量傾向が現れ始めました。ただ、若いころならともかく、あるいは独身の身なら飛び付いたかも知れませんが、毎食毎食、肉、揚げ物、卵などが続くと食事がなんかギラギラした感じで、ビールが飲みたい、ご飯、果物が食べたい、解放されたいという気分が高まり、それと便秘気味になったこと、何となく足の筋肉が重く感じられるようになったことから、実験は10日間で止めました。以後は従来の食事に戻しましたが、1週間ほどで見事に元の数値に戻りました。
 ところで私たちの身体の細胞には、エネルギー源として「ブドウ糖」と「脂肪酸」を使い分けるハイブリッドエンジンが備わっているそうです。食事を摂ったあとの3時間ほどは吸収したばかりのブドウ糖を使用します(解糖エンジン)が、それが不足してくるか急激な運動をするようなときは、肝臓や筋肉に貯蔵したグリコーゲン(ブドウ糖)を分解して使用し、それも少なくなるとブドウ糖の使用はそれしか利用できない脳などの中枢神経系のみに限定し、その他の組織(臓器・筋肉など)は貯蔵脂肪を分解して脂肪酸を用います(ミトコンドリアエンジン)。そしてさらにブドウ糖が不足するようになると、肝臓が脂肪酸のエネルギーを使ってタンパク質をブドウ糖に変える機能(糖新生)が働き、ブドウ糖を供給するようになるのでブドウ糖が欠乏することはないと云います。つまりエネルギー量的には脂肪酸を燃やす方(ミトコンドリアエンジン)が有利なのですが、変換速度的にはブドウ糖を燃やす方(解糖エンジン)が優れていて糖は消耗しやすいのですが、そのときは糖新生によってタンパク質からブドウ糖が作られるので、糖を補給するよりむしろ糖を断つ方が体内の脂肪が燃焼しやすくなり、ダイエットが進むという理屈です。一方、瞬発力が必要な若いときは解糖系のエネルギーを多く使うので、糖質を多く摂っても問題ないのですが、持久力が求められる中高年以降になると、エネルギー系は解糖系からミトコンドリア系へ移行するため、糖質の摂り過ぎは皮下脂肪を増加させ、メタボになりやすいと云うのです。この辺のことは草しか食べない牛に穀物を食べさせ、「霜降り肉」を作ろうとする最近の畜産技術を思い浮かべれば納得できます。この本を読んで知ったのですが、糖尿病になると「カロリー制限」による食事療法を行いますが、しかしご飯などの糖質制限をしないので血糖値が上昇し、根本的な治療につながらないと云います。確かに糖質制限食なら血糖値は全く上昇しないので、糖尿病患者には最適な食事療法なのかも知れません。この本を読んで改めて「腹八分」、「よく噛む」、「減糖」の大切なことを再認識した次第です。

 


2014年4月4日金曜日

2013年度のまとめ

 昨年度の「エコの環」活動では生ごみ処理機「たいぞう君」を1台増設し、地区内3か所にある4台の処理機で4人のボランティアが月に480kgほどの生ごみを処理し、できた堆肥で6人が無化学肥料、無農薬、無畜糞堆肥にこだわった野菜づくりを進めてきました。できた野菜は最初2店舗で販売していましたが、その1つが店を閉じることになり、それを機にもう一店舗での販売も止め、いまは決まった顧客に野菜を売って歩く行商の形を取っています。この方が私たちの野菜を心待ちにしてくれる人もいて、無駄が少ないと考えたからです。昨年度の野菜販売額は下図に示すように51万円余となり、一昨年度の23万円を大きく超えることが出来ました。しかし8~9月頃、野菜栽培の中心であった2人が共に腰痛を患い、肝心な稼ぎ時に大きな戦力を失い、残念な結果でもありました。高齢者による事業だけに病気も含め、今後もこうしたハプニングをある程度予測しておく必要があるのかも知れません。

野菜販売額の推移
ところでいまは堆肥の量が全然足りず、野菜の栽培量に限度がある状態で、もっと生ごみ処理量を増やす必要に迫られています。それには生ごみの収集範囲・量の拡大を図っていく必要があり、どうしてもパートの雇用が必要となってきます。そこでその雇用費の手当てをすべく、アチコチに助成金の申請を行ったのですが、雇用費となると助成対象になるものが少ない上に審査も厳しく、残念ながらどこにも採択されませんでした。ただ助成金とは違うのですが、エコビジネスの芽を見つけ育てるコンテスト「eco japan cup 2013」というのがあり、応募したところそれは最終選考を通過し、「東京で最終審査をするので、パネルの製作とプレゼンテーションの準備をお願いしたい」旨の連絡を受けました。それが審査当日の丁度10日前のことであり、あまりにも慌ただしく、しかも東京となると気分的にも遠すぎて、折角ながら辞退しました。すると主催者側でパネルの製作と5分間のプレゼンテーション(本来の審査は10分間)をするので、パネル内容のチェックとスライドを作ってほしいと云われ、結局代役参加となりました。そんなことから審査の結果は全然当てにしていなかったのですが、しかし意外にも「東急グループ賞」というのに選ばれ、賞金10万円を頂くことができました。いつも青息吐息でやっているだけに、この賞金は大変に助かりました。あとで聞くと審査会は日本最大級の環境展示会「エコプロダクツ」の会場(3日間の来場者数16万人超)で実施され、その模様は世界にネット配信されたということで、参加しておけばよったと反省しているところです。右下図は授賞式(これも欠席)で贈られた賞状と目録です。
宮津市では昨年の秋、地域住民・事業者・各種団体からなる「みやづ環の地域づくり」が発足し、私が所属する部会ではいま、私たちの「エコの環」を中心に地産地消を進めることを検討しています。一方、京都府では、これまで「阿蘇海環境づくり協働会議」が進めていた阿蘇海の清掃活動、環境学習、調査研究に、もっと流域住民・団体を巻き込み、新たな阿蘇海将来ビジョン、具体的取り組み内容を決めたいとして、昨年の秋から4回ほどワークショップを開催していましたが、この度「阿蘇海流域環境改善案」を募集したことから、早速私たちの「エコの環」やへどろ調湿材・ヒートポンプについて提案を行ないました。今年度はこうした取り組みがさらに具体化し、私たちの活動が飛躍できることを期待しています。





2014年3月25日火曜日

会計処理法

 今年の冬はいつになく寒さが厳しく、また長く感じられました。しかしさすがに「彼岸」を迎えると一気に春らしい陽気に変わるから不思議です。そして解放的な気分になる一方で、毎年この時期はやがて始まる一年の締めの作業-多くの報告書類の作成、届出業務、総会など-が頭をよぎり、いささか憂鬱になる時期でもあります。とくに私たち技術系の人間にとって会計書類の作成は、ほとんどその意味を理解することもなく、ただ決められた様式に従って前年度分の書き換え作業をやっているだけですが、ときに大きな考え違いをしていてあとで然るべきところから指摘を受けても、十分に内容が呑み込めないようなことがあったりして、いつもその作成作業には一抹の不安を抱えてやってきました。
 2012年度より会計報告書の一つ「収支計算書」が「活動計算書」に移行することになり、それを機に経理のことを少し勉強しました。そして金銭取引に未収金とか前払金、あるいは未払金、前受金、借入金などが発生するようになると、資産とか負債といった概念が必要となり、活動計算書でないと説明しづらくなることを学びました。そして昨年の今頃でしたか、エクセルで作った出納帳をあとで自動仕訳して、総勘定元帳を簡単に作れるようにしたことや、またそれまで使っていた金銭収支表を資産・負債の動きも分かるものに作り変え、活動計算書や貸借対照表が簡単に作れるようにしたことを紹介しました。しかしその後半年も過ぎると、経理屋でないがためその計算内容をすっかり忘れてしまい、日々「収支一覧票」に金銭を入力することで出納帳残高、資産/負債額、正味財産額などが表示されても、なぜそうした結果になるのかが分からなくなり、これはヤバイというので昨年の暮れに自分用の「取説」を作成し、同時に収支一覧票に表示される数値の下に計算式を書き込みました。すると自分でも結構納得のいくものが出来上がり、折角作ったのだからとむかし会社勤めをしていた時の同僚で、経理畑一筋だったMさん(滋賀県在住)に取説をはじめ一切の書類を送付し、チェックをお願いしました。最初は理系の人間の作ったドロクサイ会計処理法に、かなり戸惑いや違和感もあったようですが、そこはむかし同じ釜の飯を食った仲間、何度も何度もメールでのやり取りを交わし、時には電話で直接確認し合ったりして、大きな誤りを正したり、構成を変えたり、細かい語句の修正などもしてもらいました。そして最終的に京都府の府民力推進課の担当者にもチェックをお願いしました。
 下に示すのが新たに作り直した収支一覧票です。日々の金銭の出入りを入力すれば、金銭収支の他に正味財産の動きも瞬時に分かり、活動計算書、貸借対照表、財産目録としても利用できます。また、市販のソフトと違い計算内容が一目瞭然であり、自分なりに自由に作り変えることも可能です。興味のある方はご連絡ください。取説やテンプレートをお送りします。


2014年3月17日月曜日

リケジョ(つづき)

 小保方さんの「STAP細胞」に疑惑の目が向けられています。世界を仰天させる画期的発見とされ、それも日本には数少ないリケジョによる成果と云うことで、大いに期待をしていただけに本当に残念です。先日理研の中間報告会が行われましたが、いろいろ論文の不備が浮き彫りになっただけで、肝心のSTAP細胞が存在するかどうかはハッキリせず、小保方さんが発表会見で満面の笑みを浮かべながら指差していた、「グリーン色に染まった物体」が一体何なのかは、明らかにならないままでした。
それにしても小保方さんの研究者としての資質には、本当にがっかりしました。他人の文献をそっくりそのまま無断引用するなど言語道断と云えます。人からものを借りるときは挨拶かお礼を云うのが当たり前で、何も云わずに自分のものにしては泥棒と同じで、全く倫理に欠けると云われても仕方ありません。いま大学生にレポートを書かせると、インターネットからの「コピペ」(コピー&ペースト)が多いと云います。しかしアメリカではたとえ宿題のレポートでも、コピペと分かれば退学させられるという話しを聞きます。剽窃はそれくらいの厳しさが求められる行為なのです。また、写真の流用とか修正もうっかり取り違えたとか、見やすくするために行ったとか云っておられるようですが、少なくとも責任ある研究者なら自分の論文に載せる写真を取り違えることなど絶対にありません。それに写真に手を加えたら「改ざん」になることぐらいは子供にでも分かることです。
 私も理系の人間だから分かるのですが、研究者は自分が解明しようとする事象に対し、常にあるモデルを思い描きます。つまり解明しようとする事象はこうしたモデルに従って起きるのではと考えるわけです。そして実験でそのモデルが正しいか間違っているかを実証するわけです。モデルはもちろん研究者の想像力に負うところが大きく、世間の常識を覆すような発想もあれば、チマチマした発想もあるわけです。その意味では小保方さんの発想は常軌を逸したものと云え、実証はかなり難しく、だから発表会見でも「なかなか成果が出ず泣きあかしたり、今日で実験を最後にしよう、明日でやめようと何度も思った」と語っておられたのだと思います。しかしここで注意しなければならないのは、モデルとして考えた発想が正しいかどうかは分からないということです。私たちが生きていくには原理原則にこだわっていもだめで、環境に応じて変化することが大切と云われるように、自分の描くモデルも実験の結果によって、それに順応して常に修正することが必要なのです。そうでないと別の理由でそれらしい結果が出たときに、その説明に苦しむことになったり、折角実験が教えてくれる重要な事実を見逃すことになってしまうからです。ノーベル賞級の発見も実験ミスから見つかったものが非常に多いのです。つまり実験には自分の発想に固執せず、常に視点を変える融通性が必要であり、そのためにも実験には誠実、かつ謙虚に取り組む姿勢が求められるのです。詳しいことは分かりませんが、もしグリーン色の細胞が本当に万能細胞なら、小保方さんの云う「ストレス」で発生しようがそれ以外の理由で発生しようが、「できていることは事実」であり、それはそれで素晴らしい発見であると云えるのですが。
 マスコミによると若い研究者が理研で働くには、1年契約で最長5年が基本であると云います。しかし研究生活で1年契約と云うのはかなりのプレッシャーになるハズです。毎年毎年それなりの成果を出し続けることは難しく、まして思い描くモデルが大きければ大きいほど、実証には時間がかかるからです。小保方さんのユニットリーダーというポジションがどのようなものかは分かりませんが、直接の上司もいなかったと云われる中、弱冠30歳の若い研究者には相当な重圧であったことは間違いなく、その若さでは正直、「Nature」に投稿できるだけの実力があったかどうかも疑われます。それを考えると理研の責任も大きく、これを機会に若い研究者を国家としてどう育てていくのか、真剣に考える必要があるのかも知れません。




2014年3月8日土曜日

座禅

 わが家から100mほどのところに「河西寺」というお寺(臨済宗妙心寺派)があります。そこではずっと座禅会が行われていて、私も今から10年以上も前に一度参加して5~6年通ったのですが、地元自治会の役員を引き受けたとき地区行事に追われるなか、ついつい足が遠のいて4~5年のブランクを作ってしまいました。その間にお寺では住職の世代交代があり、新しくやってこられた若オッサンが新たに座禅会を始められ、1年ほど前からまた参加しています。
 座禅会ではまず全員が「般若心経」を始め3つほどお経を唱え、その後に座禅を組みます。以前のオッサン(いまは隠居されています)のときは座禅の時間は大体20分くらいで、その後に1時間ほどの茶話会がありました。参加者は大体5~6人で、私より10歳くらい年上の方たちばかりで、それこそ戦争体験、昔話からいまどきの社会風潮、ニュースなど、いろいろなことをオッサンを交えて談笑しました。オッサンはかつて宮津高校で歴史の先生をやっておられただけに歴史に詳しく、また話題が豊富で、毎日曜日の朝6時半からの座禅会は、この座談が楽しみで参加していたようなものでした。
ところで若オッサンの方は前住職に比べると結構厳しく、座禅は線香の火が消えるまでの30分くらいのものを、5分ほどの休憩をはさんで2回組みます。また、足も素足で両足を組むように求められます。しかし私は足の筋肉が太くて両足組むのが難しく、片足だけで許してもらっています(また冬の間は靴下も許してもらっています)が、それでも20分も経つと足を組んでいるのが段々と苦痛になり、その内に腰や肩までがおかしくなって身体中がワナワナと震えだし、とても「調息」(呼吸を整える)や「瞑想」どころでなくなり、「早く時間がきてくれ!」と祈るばかりの状態になります。2回目の座禅のときは「警策」(肩をたたく板)を持って回られ、私も2~3度たたかれたことがあります。別に痛くはないのでどうということはないのですが、やはりたたかれたくはないので2回目の座禅のときはかなり緊張します。そして目を盗んでは必死に身体の立て直しを図ることになります。いま座禅会に来ているのは大体6~7人で、年齢は私より5~10歳若返りました。もちろん狭い地区なので全員よく知っていますが、いまは座禅の後はお茶を飲んで散会し、茶話会はなく、座禅会も月に2回のためお互いの会話はほとんどなく、なんとなく淡白な感じのものになっています。私にとってはどちらかと云えば苦痛の場になってしまったのですが、熱心に通っておられる他の人は、何を求めて通っておられるのか不思議に思うことがあり、一度聞いてみたいと思っています。というも前住職は「座禅を組むと頭がスッキリして思考がまとまりやすい」とよく云っておられましたが、私自身はあまりそうした実感を持ったことがなく、むしろ茶話会があった時はその談笑から学ぶことが多かったように思うからです。座禅を組むときはいつも、「悟る」とは一体どういうことだろうと考えたりします。むかし巨人軍の川上選手が現役時代、「ピッチャーの投げたボールが止まって見えた」と云っていた話しや、イチロー選手が語る言葉を聞くと、一芸に突出した人が到達する「ある境地」を感じます。そしてそれは悟りに通じる境地なのかと考えたりします。一方で子供のころに読んだ「象とメクラ」の話しを思い浮かべます。鼻に触ったメクラは「象は筒のようなものだ」と感じ、耳に触ったメクラは「ウチワのようなものだ」と感じ、しっぽに触ったメクラは「ひものようなものだ」と感じたという話しです。つまり同じ事象も視点を変えると全く違って見えることを諭した話しで、この話しからすると人生体験の少ない者がいたずらに座禅を組んで瞑想しても、何も見えてこないのではといぶかしく思ったりします。だから禅の修行では師からいろんな難問を問われ、それに即答できるか「禅問答」という試練があるのだろうと思います。しかし同じ世界の人間同士が禅問答をしていても視点が限られ、なかなか悟りの境地に達しえないのではと考えたりもします。かつて茶話会があったころオッサンに、「本来人間を救うべき宗教が戦争を引き起こしたり、同じ宗教がいくつもの宗派に分かれていがみ合うのはおかしいのでは?」と聞いたことがあります。オッサンはただ笑って頭をかいておられましたが、所詮、宗教と云っても人間が作ったもの、悟りのレベルからは程遠いものなのかも知れません。だから座禅も「有酸素運動」の一つぐらいに考えておいた方がよいのかも知れません。
 ところで俳人の正岡子規は、悟りとは「死ねと云われたらいつでも死ねる覚悟のできた境地」と最初考えたそうです。しかしその後「どんな境遇に置かれても生きようとする気持ちが備わった境地」と考え直したと聞いたことがあります。生死をさまよって生きた子規らしい考え方の変化ですが、後の生命を大切にしようとする考えには共鳴できるものを感じます。ちなみに私自身は悟りの境地を「カエルにしょんべん」と思っています。しょんべんをひっかけられても涼しい顔のカエルの心境です。とても到達できませんが。
 

2014年2月26日水曜日

永遠のゼロ

 私が「ゼロ戦」という戦闘機を始めて見たのは、いまから40年ほど前に訪れたアメリカのスミソニアン博物館に於いてでした。私は太平洋戦争勃発の年に生まれたのですが、戦争の体験といっても、B-29という爆撃機が岐阜市を襲った時に、一度母親に連れられて防空壕に逃れたのをかすかに覚えている程度で、ほとんど記憶がありません。だからゼロ戦を見ても「これがゼロ戦か、なぜ展示されているのだろう?」くらいの考えしかありませんでした。しかしその後「零戦燃ゆ」(柳田邦男、文春文庫)という小説を読み、ゼロ戦が日中戦争から太平洋戦争にかけ、まさに向かうところ敵なしの世界最高の戦闘機で、だからアメリカはその性能解明に血眼となり、アリューシャン列島近くに不時着したゼロ戦をほぼ無傷状態で回収するのに成功し、それを徹底的に調査したという話しを知り、なぜ展示されていたかの理由が分かると同時に、それがそのゼロ戦だったかも知れないと後で残念に思った次第です。小説によるとその後アメリカは戦闘員の身を守る防御設備を強化したり、被弾に強い材質の戦闘機づくりに力を入れ、その分重くなった機体は超高馬力のエンジンを開発して補い、重装備のグラマンを作ったと云います。これに対しゼロ戦は世界最速ながら小回りが利く、まさに身軽さが身上であったため被弾には弱く、戦闘員の身を守る防御設備も不十分だったのですが、しかしその圧倒的強さに慢心して後発機の開発が遅れ、しかも無線技術が劣り、またレーダーの開発に遅れを取り、それに物量差が加わってやがてゼロ戦は段々と追い詰められ、しかも技能的に極めて優秀であった数多くの戦闘員を失い、その補充が利かないなか「カミカゼ特攻」に突き進んでいったということです。
今回なぜゼロ戦の話しを持ち出したかというと、子供が置いていった本のなかに「永遠のゼロ」(百田尚樹、講談社)という小説があり、それを読んでゼロ戦戦闘員たちの過酷な生きざまを知ったからです。ゼロ戦の性能もさることながら、その戦闘員たちの技量は当時の世界最高レベルにあり、だから当初は無敵を誇ることができたわけです。しかし段々と戦況が不利になってくると、ニューギニア近くのニューブリテン島にあったラバウル基地から1,200キロほど離れたガダルカナル島まで、毎日のように攻撃に出かけたと云います。青森から博多当りまで攻撃に出かけるようなもので、これもゼロ戦の航続距離が3,000キロと、当時の世界の戦闘機の数百キロに比べ桁外れであったからできたことで、レーダーのない時代に目印のない洋上を飛んで行って戦闘し、そしてまたラバウルまで帰ってくるのですから、いかに戦闘員たちにとって過酷な作戦だったかが分かります。そしてやがて「カミカゼ特攻」に志願させられるのですが、重い爆弾を搭載するとスピードがぐんと落ち身動きが取れず、他のゼロ戦に守られての出撃となるのですが、アメリカはそれをレーダーで察知し、何十倍ものグラマンを優位な位置に待機させて待ち構えているのですから、ほとんどの特攻が「無駄死」になったと云います。それでも上層部は出撃をやめず、特にこの「カミカゼ特攻」では学徒動員させられた優秀な人材が数多く失われたと云います。戦闘員の養成には非常に多くの知識・技能を教え込む必要があり、短期間に養成するには優秀な学生をつぎ込まざるを得なかったのです。
 永遠のゼロを読んで、大勢の人間の運命を左右する政治家や、軍の指導者たちの責任の取り方について深く考えさせられました。そういう人たちには大言壮語を吐く輩が多く、部下には「国家、天皇陛下のためだ、俺も後から行く」と勇ましいことを云って厳しい命令を下しておきながら、自分たちのこととなると「不可解な撤退」をして、戦局を取り返しのつかないものにしておきながら、責任があいまいなままの指揮官が多いと云います。また、戦後、「カミカゼ特攻」で亡くなられた方々の家族、生きて帰ってきた特攻隊員たちが、「戦争犯罪人」というレッテルを張られ厳しい目を向けられたとき、果たして政治家たちが身を挺して彼らを守ったかということです。いま安倍首相の靖国神社への参拝が大きな問題になっています。「国家のために生命をささげた人たちに、尊崇の念をもって参拝する」という一国の首相の立場は分かります。しかし問題はそこで安らかに眠っている人たちの気持ちです。彼らが「靖国で会おう」といって散っていったことは事実でしょう。しかしそれは自分たちが再会するための居場所であって、選挙目当ての政治家たちに参拝してもらうための場所ではなく、彼らにとってはハタ迷惑かも知れません。「カミカゼ特攻」に選ばれた人たちの遺書、手紙、歌には勇ましいものが多いそうです。しかしそれは上官の検閲があったり、家族に迷惑がかからないようにといった配慮があってのもので、その行間にはむしろ「生きたい」という切実な気持ちがにじんでいるそうです。そうした彼らの気持ちを本当に真剣に受け止めるなら、政治家たちは参拝と同時に「我々はもっと真面目に生きるべき」ことを若者、国民に訴え、そうした社会の実現にそれこそ生命をかけるべきではないでしょうか。いまの世の中、イジメによる自殺、ストーカーによる殺人、「だれでもよかった」という通りすがりの殺傷、あまりにも生命を粗末にした事件が多すぎます。また、美食に走ってダイエットしたり、ジャンクフードで健康を損ね、それを薬やサプリメントで簡単に解消しようとする風潮、これも生命を大切にしているとは云えません。もう少し授かった生命の重みを真剣に考えるべきではないでしょうか。

2014年2月15日土曜日

スキー

 先週、2年ぶりにスキーに行ってきました。「エコの環」の野菜作りをしている人の中にスキーの好きな方がおり、「スキーに行くときは誘ってください」と以前声をかけておいたところ、誘いの声がかかり、車で1時間半ほど走ったところにある神鍋高原の「万場スキー場」まで行ってきました。私の住む地域は、神鍋以外にも鉢伏とか氷ノ山など大きなスキー場に恵まれ、冬になると身体がムズムズして血が騒ぐため、ずっとスキーを楽しんできました。さすがに60を過ぎてからは回数は減りましたが、それでもいまも年に1~2回はどこかのスキー場に出かけ、万場は3~4年ぶりでした。しかし平日(金曜日)とはいえゲレンデはガラガラで、正直びっくりしました。万場というのは神鍋の中でも非常に人気の高いゲレンデで、それこそ我々が若かりし頃(1960年代)は、朝6時前の汽車に乗り、豊岡で乗り換えて江原駅まで行き、そこでバスに乗り換えて40~50分揺られた後、そこからまたスキーを担いで30~40分かけて行ったものです。だから滑り始めるのは大体10時を回っていました。しかし当時は冬季オリンピック三冠王のトニーザイラーが主演した、「白銀は招くよ」という映画がそのテーマ曲とともに日本で大ヒットし、高度成長期とも重なって日本は超スキーブームにあり、それこそスキー場はどこもイモの子を洗う賑わいで、だから道中の苦労やリフトの長蛇の列など全く気にならず、毎日曜日、休日のほかに年休も取って、せっせとスキーに出かけたものです。1970年代になるとどこのスキー場にも駐車場が完備され、今度は駐車場探しや大渋滞に悩まされながら、万場へもよく出かけました。そして1980年代は今度は子供たちを連れ、泊りがけで出かけるようになりましたが、どこもゲレンデは拡張の一方で、リフトも2人乗りから4人掛けのものまで登場し、ゲレンデの賑わいは一向に衰えることはありませんでした。1990年代になるとさすがに仕事で足が遠のくようになりましたが、それでもたまに出かけると、いつの間にかスノーボードがゲレンデで幅を利かせるようになっており、スキーが段々とゲレンデの片隅に追いやられ、スキー人口の減少を感じてはいましたが、それにしても今回の万場の状況は、昔の大混雑を知っているだけにいささかショックでした。

今回のショックは、途中にある「名色スキー場」が営業停止にあることを知ったのがまず始まりでした。名色スキー場もかなり大きな人気スポットの一つで、子供たちを連れて何度も行ったことがあったからです。ふもとのヒッソリ閑とした雪景色は信じられない光景でした。次に驚いたのは万場の駐車場です。平日は無料なのだそうですが(これも信じられないことです)、ガラガラで20~30台しか止まっていないのです。リフト券も半日券を買う予定だったのですが、金曜日は「シニアDay」ということで、私たち高齢者は1日券をわずか2,200円で買うことができました。そしてゲレンデに出ると人影がまったく無く、たまに2~3人が滑っているのを見かける程度なのです。確かにここ数年、他のスキー場でもゲレンデがかなり空いているのを見てはいましたが、まさか万場がここまで閑散としているとは想像もしていませんでした。リフトも止まっているのがあったり、かつては10人近くが働いていたと思うリフトにも、いまは3人しか張り付いていないのです。また、ゲレンデのアチコチにあった食堂も閉じられたところが多く、昼食時に入ってもやはりガラガラで、見かけるのは高齢者ばかりで若者がいないのです。特に驚いたのは一番下のゲレンデ直下にあった宿泊設備を持った食堂で、当時は目の前のゲレンデにナイター設備があり、そこに泊まることは一種のステータス気分が味わえ、何度か泊まったことがあるのですが、そこが閉鎖になっていたのです。
 スキーの方は人影がないことをいいことに2~3本立て続けに滑り降りたところ、太ももがパンパンに張ってしまいコントロールが利かなくなり、体力には結構自信のある私も今回はへとへとに疲れてしまいました。一緒に行った人の気遣いから、結局昼食をはさんで3時間ほどで切り上げましたが、スキーでこんなに疲れたのは始めてであり、帰りに途中の温泉に寄り、ゆっくり疲れを癒して帰ってきました。費用的には温泉代も含め、スキー道具を借りた私が6,500円、連れの人は3,500円と昔に比べると半額以下で、「また行きましょう」ということになりました。
 今回の旅行でつくづく感じたのは、スキー場の有様がまさに今の日本の姿そのものになっているということでした。昔の賑わいがすっかり消えてシャッター通りが増え、高齢者だけが無料駐車、シニア券の恩恵を受けて平日にゆうゆうとスキー、温泉を楽しみ、そこには若者の姿が全く見当たらないのです。確かに私たち高齢者にとって有難いことではあるのですが、これを支えてくれている若者に何か申し訳ない気持ちが拭いきれず、やはりガラガラの温泉に2人で浸かりながら、私たち高齢者で回す「エコの環」でお返ししようと話し合ってきました。

2014年2月5日水曜日

リケジョ

 日本のリケジョ(理系の女性)が世界を驚かすスゴイ発見をしてくれました。山中教授のIPS細胞とは全く違う手法で、STAP細胞と呼ばれる万能細胞を「より安く、より早く、より安全」に作れるというから驚きです。山中教授に続く快挙に何も分からないわれわれもすっかり興奮し、私の末娘もリケジョであることから、つい心で万歳を叫んでいました(何の関係もありませんが)。山中教授がIPS細胞の開発に成功されたのは確か40歳を過ぎたばかりのころで、ずい分若いなーと思っていましたが、今度の小保方さんはまだ弱冠30歳とか。自分が30歳だったころのことを思うと、全く使命感が異なり恥ずかしくなります。それにしてもカッポウギを着て実験したり、実験室の壁をピンク色に塗り替えたり、実験器具にお気に入りの漫画キャラクターを貼ったり、スッポンを飼ったり、ずい分奔放な気がしますが、それを許している研究所や上司の方々の度量にも感心します。もっとも小保方さんは最初、STAP細胞はこれまでの万能細胞と異なり、眠っていた力を呼び覚まして自ら万能化することから、それを王子様にキスされて目覚めるお姫様になぞらえ、「P(プリンセス)細胞」と名付けようとしたようですが、さすがにそれはボツにされたとか。学校時代の友達や、先生、大学時代の恩師たちによると、とにかく頑張り屋だったということですが、それにもまして発想力がずい分他の人とは違っていたようです。テレビでどなたかが「五感が違う」と云っておられましたが、理屈の積み重ねである理系分野においても、斬新な発想にはやはり「五感」とか「感性」が非常に重要なことが分かります。その点は女性の方が理屈やメンツを重んじる男性より優れており、また、忍耐力でもずっと優れることから、今後のリケジョの活躍が大いに期待されます。

ところで今回の発見にはIPS細胞と同様、再生医療、新薬の開発などに多くの期待がかかります。それはそれで大変に喜ばしいことですが、ただ細胞を操作するということは「神の領域」に足を踏み入れることでもあります。今回の大発見に世界はただ驚いて見ているだけでなく、間違いなく猛烈な開発競争が始まるはずです。小保方さんの論文が英科学誌ネイチャーに発表された日に米メディアは、小保方さんを指導したハーバード大の教授たちの研究チームが、「すでにSTAP細胞を使って脊髄損傷をしたサルの治療を始めている」ことを伝えています。こうした競争の激化が倫理問題を置き去りにして、神の領域を冒すことにつながっていかないか非常に心配します。私も理系の人間の端くれとして思うのは、どんなに優れた薬にも副作用があるように、どんなに優れた技術にも必ず負の面があるということです。それが事前に予測できて対策が打てればよいのですが、多くはそれがごく微量の不純物の中に隠れていたり、想定外のことが起きないかぎり現れなかったり、開発段階では見逃してしまうことが多いのです。例えば福島第一原発の事故がそうです。事故が起きてはじめて「ああしておけばよかった」、「こうしておけばよかった」ということが云えるのであって、なかなか事前にはそれが分からず、あるいはそれを問題視せずに見すごし、事故が起きてはじめて負の面の重大さに気付くのです。しかし人間の技術力は想定外のことには全く無力で、泥縄式のことしかできず、解決するには天文学的なお金と多くの人の犠牲を必要とします。このように生産活動によって引き起こされる環境破壊や人的被害を「外部不経済」と呼ぶそうですが、本来はこれを内部化して生産できるようにしないかぎり経済は成り立たず、社会に甚大な不利益、不幸をもたらすだけになってしまいます。神の領域に入り込む医療活動が、今後こうしたとんでもない外部不経済をもたらす結果にならないことを願っています。

2014年1月28日火曜日

小野田さんが逝く

 小野田さんが亡くなられました。91歳とのことですが、長いジャングル生活を生き抜かれた方にしては少し早過ぎる気がします。1974年でしたか、彼がフィリピンのルバング島で発見されたとき終戦を信じず、「解除命令がない限り、戦闘はやめない」と語り、かつての上官がわざわざ現地に赴き、任務解除命令を出してから帰国するという、当時の我々には信じがたい強固な精神力に圧倒され、「西洋は契約の社会、日本は忠義の社会」とは云うものの、その軍人としての忠誠心に感激したことを覚えています。しかし帰国後わずか半年後にはブラジルへの移住を決断され、「なぜ日本でゆっくりされないのか」と訝ったことを覚えています。しかし当時の日本は、小野田さんには余りにも物質的に恵まれ過ぎ、自由勝手で価値観が全く違っており、馴染めなかったのかも知れません。また、マスコミから「軍人精神の権化」とか「軍国主義の亡霊」と、持ち上げたりたたいたり両極端の扱いを受け、嫌気がさしたのかも知れません。
 
 
ところで私はいま、たまたま「永遠のゼロ」(百田尚樹、講談社)という小説を毎晩寝る前に読んでいて、「ゼロ戦」搭乗員たちの常に死と向き合った過酷な生きざまに、深い感銘を受けているのですが、ジャングルでの全く異なる戦争体験とはいえ、生死を賭けて生きてこられた当時の小野田さんの心境が、いまはとても分かる気がします。小説に無事に帰国できたある兵士の話しが出てきます。帰国後結婚し、子供が小学生になったとき運動会に出かけ、子供たちに声援を送る父親たちとの楽しい雰囲気のさなか、突然十年前の戦争中のことが思い出され、するとあの戦争で亡くなった大勢の男たちの無念さが胸にこみ上げ、涙が止まらなくなったというエピソードです。平和ボケですっかり忘れられた何でもない日常生活の大切さ、元気に生きておられることの有難さがシミジミと伝わってきます。小説ではまた、日本の劣勢が色濃くなってきたころ、搭乗員が全員集められ、上官から「特攻攻撃をする。志願する者は前に出ろ」と神風(最初は「しんぷう」と読んだらしい)特別攻撃の始まったときの話しが出てきます。いかに毎日生命を懸けて戦ってはいても、そこにはまだ「生きる一縷の望み」があります。しかし特攻となると生きる望みは全く絶たれ、最初は誰も動かなかったそうです。しかし「行くのか、行かないのか!」と声を張り上げられ、つられるように全員が前に出たと云います。このようにして選ばれ、最初に全機体当たりに成功して大戦果を挙げた敷島隊隊長の関大尉は、当時「軍神」として日本中にその名を轟かせ、一人息子を失った母は「軍神の母」としてもてはやされたそうです。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として村八分の扱いを受け、息子の墓を建てることさえ許されず、また、無事に帰国した「ゼロ戦搭乗員」たちへの扱いも、似たようなものだったと云います。まことに身勝手なものです。戦争はほんの一握りの人間たちの無責任な判断で実行され、残りの大多数の人間の生命、運命がそれに翻弄されるのです。

小野田さんはその後、日本で起きた「金属バット事件」をブラジルで知り、子供たちの力になりたいと日本に戻り、小野田自然塾を開いて約2万人もの子供たちに、キャンプを通してたくましく生きることを教えられました。「人間は強くなければ、人にやさしくできない」と、かなり危険なキャンプ体験もさせたようですが、一方で子供たちへの教育を通し、小野田さん自身もかなり柔和な顔つきになっていかれたと云います。戦争はもちろん過酷な運命を人に強要しますが、しかし平和であればあったでまた厳しい現実があり、それを子供たちが運命として背負い、それなりに苦しんで生きていることを理解されたのかも知れません。いずれにしても小野田さんの言葉、「死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか」は、いまの我々にとって非常に重く、「ゼロ戦搭乗員」たちの叫び声も重なって聞こえてくる気がします。
 ご冥福をお祈りします。

2014年1月19日日曜日

毒物混入事件

 食品の偽装問題が落ち着いたと思ったら、「アクリフーズ」という会社の冷凍食品から、農薬の「マラチオン」が検出されるという大問題が発生しました。このニュースを知ったとき真っ先に思い浮かんだのが、6年ほど前に起きた中国の毒ギョーザ事件のことです。当時、日中双方が協力して調査が進められましたが、中国側から「中国で入った可能性は低い」として日本側を疑う見解が示されたときは、「そんなこと100%ありえない」と笑っておられたことが、今回の事件で「エ! あり得るの!」という、信じがたい現実に直面したからです。それにしても今回も会社側の対応には、食品会社としての責任を一体どう考えているのか、疑問を感じざるを得ませんでした。消費者の苦情があってから公表までに1ヶ月半もかかったことについて、「まさか農薬が入っているとは想像できず、究明に時間がかかった」と釈明されても、子供や老人も食べる食品だけに、その間にもし深刻な事態に発展していたらどうするつもりだったのかと云いたくなります。また、最初に「子供が一度に60個のコロッケを食べないと、毒性は発症しない」と云っておきながら、厚労省の指摘を受け、「8分の1個食べると吐き気など健康被害を起こす可能性がある」と訂正するなど、農薬の知識があろうとなかろうと、消費者の健康への影響をどう考えているのかと不信感を覚えます。多分前者は致死量の基準値を、後者は急性中毒の基準値を判断材料にしていると思いますが、「死ななきゃいいのか」と云いたくなります。慢性中毒になることも考えられ、これなどはほとんど基準値が分かっておらず、そうしたことも考えると今回の事件はとても怖い話しと云えます。
警察による立ち入り調査

 ところでいまや冷凍食品などインスタント食品は、私たちの日常生活に欠かせないモノになっています。私が最初にインスタント食品に接したのは、確か「キンケイカレー」とかいう粉末即席カレーで、登山に出かけたときに食べたのですが、お湯をかけると赤い粒つぶが大きく膨張してニンジンの姿に変わるのにビックリさせられ、その便利さに驚いたものです。多分真空乾燥されたもので、食品添加物など入っていなかったと思います。その後に開発された冷凍食品も、「急速冷凍することで食品の鮮度を保ち、長期保存を可能にしたもの」で、当初は添加物などの必要がない便利な加工食品だったと思います。しかしこの冷凍食品もいまや激しいコストダウン競争に巻き込まれ、安い原料にシフトするなかで、ハンバーグやメンチカツなどの肉質を落とし、それと分からないように食品添加物で食味や色、食感を与える技術が進み、そもそもの発想とはまったく異なる製品になってしまっているようです。また、即食べられるものとして出来合いの食品があります。コンビニのお弁当やおにぎりなどがそうですが、これらは裏側に「保存料不使用」のシールが貼ってあったりします。しかしそれは指定された添加物を使っていないというだけで、その役目をする代わりの添加物(pH調整剤、グリシン、酢酸ナトリウムなど)が大量に使われているそうです。しかもコンビニは車で来るお客が多いため、車中に置き忘れた弁当で食中毒を起こされるのが怖いため、業界独自の安全基準「30°C、48時間」というものがあり、つまり真夏の30°Cのなか、二日間放置しておいても腐らずに食べられるという基準で、こんなものが身体に良いわけがありません。日本はインスタントラーメンの開発で食品添加物の時代に突入したと云われますが、食品は健康に直結するものであり、「安い」、「手軽」、「見栄え」だけで選ぶべきものではなく、サプリメントも含め、最近の食品の傾向に対し、「食育」の大切さを痛感します。

滝野 清;「食品添加物と私」

2014年1月8日水曜日

初詣で

 明けましておめでとうございます。みな様それぞれに良いお年をお迎えになったことと、お慶び申し上げます。本年もよろしくお願いします。
原生林の中の参道
私が住む宮津市も今年は元日、3日と好天に恵まれ、気分的にも良いお正月を迎えることができました。そして3日には帰省した子供やその家族と、宮津市から車で30〜40分走ったところにある「元伊勢神宮」(福知山市大江町)まで、10年ぶりくらいに初詣でに出かけました。実は昨年の11月に両親の法要が岐阜であり、ついでに子供達と「お伊勢さん」まで足を伸ばしたことから、初詣でも「元伊勢に行こう」ということになった次第です。前に元日に出かけたときはひどい渋滞に巻き込まれた経験から、3日に出かけたのですが、車の渋滞はなかったものの、参拝するのに境内には長蛇の列ができていて、結局、参拝に1時間以上もの時間がかかり、外宮(元伊勢外宮豊受大神社)には寄らずに帰ってきました。
内宮皇太神社
黒木の鳥居
 
今回境内にあった案内板で、なぜここが「元伊勢」と呼ばれるのか知ったのですが、いま伊勢神宮に祀られている「天照大御神」は古くは宮中に祀られていたそうです。しかしこれを畏怖した天皇の命で鎮座地を求めて各地を転々とし、最終的に伊勢に落ち着いたそうですが、それまでの間に訪れた一時遷座地は各地で「元伊勢」として語り継がれ、当社もそうした伝承地の一つで、伊勢神宮より54年も古い由緒ある神社なのだそうです。元伊勢内宮皇太神社はうっ蒼とした森の中にあり、原生林の中の表参道(220段の石段あり)を登ると本殿にたどり着きます。本殿前には「黒木の鳥居」(皮付きの杉の木製)があり、これは外宮の鳥居と合わせ全国に二つしかない珍しいもので、最も古いタイプの鳥居なのだそうです。また、「五十鈴川」と呼ばれる小さな川もあり、きれいな水が流れていました。
 ところで「伊勢神宮」では昨年、20年に一度の遷宮式が行われました。実は私は小学校の修学旅行で丁度遷宮式のあった年に「伊勢神宮」に参拝していて、もちろんそれ以降も2〜3度お参りに出かけてはいましたが、昨年は小学校の修学旅行から丁度60年目の節目ということで、感慨深いものがありました。そして修学旅行のときに学んだ「内宮、外宮の鰹木の偶数、奇数の違い」や「千木の形の違い」を子供たちに得意げに語っているのでした。それにしても参拝者の数がものすごく、駐車場を探すのも食事をするのも大変でしたが、「おかげ横丁」という商店街は江戸時代の面影を彷彿とさせ、昔からみなこうして「お伊勢参り」を楽しんだのだろうナーと、我々も買い物を楽しんできました。